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よみとも萌えスレッド・2

1 :あず青労同大阪派教労委員会 ◆ttKIMURA :2004/01/05(月) 19:05 ID:yZhMbu2k

あずまんが大王を純粋な心で楽しむことのできない咎人たちによるよみとも萌えスレ。
百合、友情なんでもあり。逆カプ上等。
sage進行ででしゃばらずに萌えませう。

※百合嫌いの方へ※
ネタだと思って放置してくれれば幸い。

よみともマンセー!


というスレッドの2つ目です。
私がSSを上げたら容量が埋まってしまいましたので、建てさせていただきました。
前スレはこちらです:
http://www.moebbs.com/test/read.cgi?bbs=oosaka&key=034618421

2 :名無しさんちゃうねん :2004/01/05(月) 19:08 ID:???
2

3 :あず青労同大阪派教労委員会 ◆ttKIMURA :2004/01/05(月) 19:22 ID:???
では早速、前スレの終わりの方のレスを。

>>832の拙作
引っ張ってすみませんでした。そして、難解な文章ともども、
生暖かく見守ってくださったみなさんに感謝です。
なお、>>377-378の「お題」を動機に書きました。
今もココにいらっしゃるかどうかさだかではありませんが、
感謝いたしております。

>>833
まいど。
ここの寮の主たちは実は「ねらー」なのですw

>>820
>>823
今でも、「うなづく」も正解ですよ。
「うな」(意味不明)+「つく」で成り立っている言葉なので。

4 :ツインテール ◆SKYOSAKAKI :2004/01/06(火) 07:12 ID:???
よみとも萌えスレッド
http://www.moebbs.com/test/read.cgi/oosaka/034618421/825-832

まずはおめでとうございます。
文体からして脱力系のオチは予想していなかったので、
ニヤニヤしながら読ませていただきました。

5 :[] :2004/01/06(火) 13:22 ID:???
ttp://www.moebbs.com/test/read.cgi/oosaka/034618421/813-819

6 :『あなたには手作りの』作者 :2004/01/06(火) 13:31 ID:???
 あず青労同大阪派教労委員会様
 次スレ立てお疲れ様です。

 挨拶はさておき、続きを載せます。
 この前の7章分は、前スレッド、「よみとも萌えスレッド」
>>813〜819
 に収めてあります。
 誘導はこちら。

 http://www.moebbs.com/test/read.cgi/oosaka/034618421/813-819

7 :『あなたには手作りの』《8》 :2004/01/06(火) 13:33 ID:???


 ほんまにこんなことしてええんやろか。春日歩は空を見る。今日の計画が心配で。それ
から、今の状態から落ち着きたくて。青い空を横切る翼パタパタ。
 あ、スズメー。
 なに見てんだよ、大阪、さっさと行こうぜ。はりきるともちゃんが腕を掴む。いたいて、
ほんま。「大阪がとろとろしてるからだろ」むちゃいわんでほんま。はりきりすぎや。だい
たい待ち合わせ時間のどんくらい前についとったのん?
 んーと、二十分。
 せやから早すぎるって。それじゃまだお店も開いてないやん。ちょうどデパート開く時
間に待ち合わせっていうたやん。そんな理屈にうなづくともちゃんじゃないことは百も承
知で春日はいう。うるさいなー、遅刻してきたくせに。ちゃんと5分前に来てます。とも
ちゃんが早すぎるだけです。だから15分待ったなんていうのは、ほんま、ずるいで。
「第一よみちゃんまだうかってへんのやから……」
「だから今のうちにするんじゃないかー。遊びも兼ねて、一石二鳥!! 」
 それとも大阪―、あたしとデートするのいや? なにいうてるのともちゃん! そんな
ことあるわけないやろ!! 元気印の少女滝野智は、にぱっと笑う。じゃあいいじゃん。
 ふう、珍しい春日の溜息。なんかともちゃんにデートとかいわれるとエッチな感じがし
ていややわ。なにいってるんだよ、ほら。
 差し出されたひじに、なんとなくすがってみる、大阪。
 なにしてんの? えへへ、エスコート。……なんか、やっぱりはしゃぎすぎやともちゃ
ん。ん? だって夜が楽しみじゃん。泣いて喜ばしてやる。すごいぞぉ大阪、二人の愛の
力を一杯に注ぎ込むのだ!!
 周りの視線が一斉に集まって春日の頬が熱くなる。思わず組まれた腕をきゅっと握って。
「と、ともちゃんちょっと静かにして」
 いつも遅れてくるのはともちゃんなのに。ほんと、張り切りすぎや。でも同時に嬉しい
気もする。その行動に愛があるから。あたし達は進む。腕を組んで進む。
 デートいうたかて、よみちゃんのためのお菓子の材料買うだけやん。お、大阪、やきも
ち焼いてるのか? そんなんやない! そんなんやあらへんねん!! 
 シモジマデパートのシャッターが、ゆっくりと動き出す。

                      ☆

8 :『あなたには手作りの』《9》 :2004/01/06(火) 13:35 ID:???
「あ」
 思わずよみの口から声が洩れる。どうしたんですか? 「な、何でもない」美浜ちよに
尋ねられて水腹暦は大急ぎで否定した。
 今日のおやつはシュークリームだと思っていたのだ。シュークリームが食べたくて食べ
たくて、昨日口走った謎の成分、シュークリーム分。あれであんなにみんなが騒ぐとは思
わなかった。ただ食べたかっただけなのにな。
 ちよちゃんの作るシュークリームは美味しい。外はカリカリでぽこっと外側の殻が取れ
るととろりとカスタードクリームが口の中でほろけて甘い。ちよちゃんはこういうときに
気がきくからてっきり今日のおやつはシュークリームと思っていたのだ。
 目の前にはつるんとした羊羹。
 羊羹は嫌いじゃないけど。黒い厚切りの羊羹をもぐもぐさせてよみは思う。
 こんなことなら不躾でもシュークリームをリクエストしておけばよかった。もうこうな
ると、コンビニのシュークリームで口をごまかすなんて出来ない。
 ああ、シュークリーム、手作りのシュークリームが食べたい!!
 でも今はとてもそんなリクエストできない。もうちょっと落ち着いてからね、とよみ
は自分を慰めた。今日切り出したら、まるでちよちゃんがシュークリームを出さないと責
めているようだから。紅茶のお茶請けの羊羹は、おいしいけれど、ちょっと面白い味がし
た。

 あーぁ、心の中で溜息をつく。よみ。
 今日はともがいない。大阪と、ともがいない。いつもみんなが揃っているわけではない
けれど、ともがいない風景は見慣れない。少なくともいないときは、今日はこれないと知
っている日だ。ともがいない、大阪といない。
 ちよちゃんは神楽と話している。榊は定吉さんに纏わりつかれて羊羹が中々食べられな
い。穏やかな口調、笑い声、リラックスした雰囲気。そんな中にぽつんといるのは寂しい。
寂しいなら話し掛ければ良いのに、今はそんな気になれない。みんなに構って欲しいよう
な欲しくないような変な気分。……おやつもシュークリームじゃないし。
 そんなよみの心の中はよみにしかわからない。もしかしたらよみにもわからない何かが
あるのかもしれない。とにかく陰々としているよみを置き去りにして、会話は和やかに進
んでいく。 
「榊、何読んでるの? 」
 お茶を一啜りして神楽が尋ねた。

9 :『あなたには手作りの』《10》 :2004/01/06(火) 13:36 ID:???
 全集なんだ。はっきり表紙が見えるよう榊が本をたてる。著者名に見覚えがない。どこ
かでみたような記憶があるが、だれともつかない。さっきからよみも気になっていたのだ。
「お父さんのほうが、有名ですよね」ちよちゃんも話しに加わってくる。娘さんも作家に
なってたんですよ。え? これ、お父さんのこと書いてるの? 尋ねる神楽に榊がうなづ
く。「朔太郎や鴎外の娘も、書いてる。自分の父親のこと」と榊。
 わたしが読んでいるのは、彼女の父親の臨終の話だ。これによると、昭和二十二年七月
三十日亡くなった……。
 ふとよみの気が遠くなる。記憶の逆流。

 七月の末。
 影が濃い。
 夏の葬列。
 黒い人々。
 縦長の雲。
 青空高い。
 啜り泣き。
 堪える涙。
 坊主の経。
 死後の教。
 喧しい蝉。喧しい蝉。
 静かにあの子の襟足。

 ああおかあさんのこえ。

「……までが書かれている」榊の声が、よみを現在に引き寄せた。
「ああ、つまり、私小説か」
 脳に広がった懐かしいイメージに説明を聞き逃していたよみは、当り障りのない言葉で
お茶を濁す。あんまり記憶の淵に落ち込んでいたから。
 そこに誰がいたのか。初めて気づいたように、みんなの視線が集まった。

10 :『あなたには手作りの』《11》 :2004/01/06(火) 13:36 ID:???
「あんまりそういう話は好きじゃあないな。狙ってるって感じでさ」
「何がですか? 」ちよちゃんは首をかしげる。
「人が死ぬことで、成り立つ話がだよ」
 ねらってる? 榊も首をかしげる。ねここねこのしおりを、本にはさむ。
「でも、これは実際あった話を書いているわけだから」
「だからたちが悪いんじゃないか? テーマが重い分簡単に興味をひける」
 少し意地になっている。静かな部屋。よせばいいのにまた口を開いてしまう。
「まあ、あんまり批判じみたこという気もないけどさ、私は好きじゃないんだ」
 死というテーマを気軽に扱いすぎる、ということ? 榊の問いにうなづく。 
 そうともいえる、かもしれない。
「なんか泣かせるための演出みたいでサ。それに、死に関わった人はそれについて考える
ことが色々あるだろうけど、読者はむりやり著者の体験を押し付けられるわけじゃないか。
味あわなくてもいい死を強要される。例えるなら……」
「なんですか? 」ちよちゃんが小首を傾げる。
「う〜ん、知り合いの葬式かなあ」
「お葬式に行ったのか? 」と神楽。
「私は呼ばれてなかったんだけどね。たまたま見ちゃったんだ」
 誰の、とは口に出せない。それはここにいない人物に深く関わる話だから。わざととぼ
けた口調。お茶で口の渇きを癒す。白く曇る硝子越しの世界。
「お友達、亡くなったんですか? 」
 ちよちゃんの何気ない質問に榊が眉をひそめる。慌てて止めようとするが、よみは榊の
目を見る。それは一つの合図だ。聞いても大丈夫。いやそうじゃなくて、もしかしたら聞
いて欲しい、のかも知れない。
「いや、亡くなったのは、友達のお母さんだよ」
「仲良しだったんですか? 」
「いや、仲はよくなかった。いじめられてたからね」
 滅多に話さない過去の話。それが私の唇からぽろぽろとこぼれ出た。

11 :『あなたには手作りの』《12》 :2004/01/06(火) 13:38 ID:???
 10歳にもならない夏休み、遊びに出ると道端に黒い服を着た人が集まっているのが見え
たんだ。テレビでやってるお葬式みたいだった。実際葬式だったんだけどね。何か不思議
な感じがしてみてたんだ。私の身内の葬式もまだ体験してなかったから、珍しかったんだ。 
玄関に不思議な飾りがしてあって、小さなテントが建っていて。ほとんどの大人が顔をく
しゃくしゃにして。大人も泣くんだなって思った。
 そのなかに子供が一人混じってた。
 私はその子を知ってたんだ。その子のこと大嫌いでね。顔も見るのも嫌だった。眼鏡や
体型のことでよくいじめられたからさ。だから恥ずかしい話しだけど、その子を見つけた
ときいい気味だと思ったんだよ。多分泣いてるだろうなって。
 そしたら、泣いてなかった。
 涙を堪えてるわけでもなんでもなくて、ただ静かに白黒の写真を持ってるだけだった。
 私はずっと見ていた。その後姿を……。

 なんだか憧れた。襟足がすっと伸びていて、学校では見たことがない無表情。動き回っ
ている大人、何かしゃべっている大人、悲しみながらも段取りをこなしているだけの大人
の中で、ただその子はぽつんと立っている、一人で立っている。
 その時手を引かれたのだ。
 暦、そんなものずっとみているんじゃありません。
 他の大人は哀しそうなのに、母さんは哀しそうじゃなかった。その子と、母さんだけは。

「よみさん、どうしたんですか? ぼおっとしちゃって」
「ん? あ、ちよちゃん」
目を強くしばたかせる。頭がぐるぐるする。過去の記憶に酔ったみたい。眼鏡を外して眉
間を揉む。世界の輪郭がはっきりしてくる。自分が何処までなにを話したのかも胡乱でふ
わふわしている。
「いやだから、知り合いの葬式は身の置き所がなくて、不安で。……とにかく、嫌なんだ」
「つまり人の悲しみが、自分にも伝染する。だから嫌なんだな」
「よみさんってやっぱり優しいんですね」
 誰もそんなこといってないだろ! 三人とも、温かい目でこっちを見るな!!
 狼狽するよみに皆一しきり笑った後、神楽が口を開いた。
 私はいいと思うな、と。連載中)

12 :『あなたには手作りの』作者 :2004/01/06(火) 13:53 ID:???
 さて、続きです。

 >>あず青労同大阪派教労委員会様。
 改めてスレ立てお疲れ様です。以下はちょっとした感想です。

 他人からみると詰らなく思えるような出来事が、誰かを
とてつもない不幸に陥れることはよくあるように思えます。
そんな時一人では慌ててしまい、本当に詰らないすれ違いが
決定的な破滅や破局を生みやすいものです。最も人間はそん
な状態でも新たに幸せを見つけられるものなのですが。
 この話を読み終えて、よかったな、と思えました。
 幸せと愛を長く長く続けるのは、自らの努力とちょっとした
奇跡にめぐり合わなければならないと思っておりますので。
 この二人に幸せな日々をと願って止みません。

               ☆

 なお、>>5は誘導の誤爆です。申し訳ないです。

 さて、長々と書いておりますが、次回は1/8に続きを
載せてみたいと思います。ほんと、長いのよ、今回。

13 :さかちー :2004/01/06(火) 18:46 ID:???
>>12
今回もうまいです。やっぱタダモノじゃないですね。
よみの考え方、とくに『人の死をテーマにした話』云々のところが
すごく共感できます。
とか言いながら、以前自分のSSで人の死を軽く扱ってしまった
ことがあるので、いつかリベンジしたいと考えているのですが。
それはともかく、続きを心待ちにしてます。
ただ、『定吉』はやめておきましょう。読者を作品世界に引き込む
力があるだけに、つまらない誤字で興ざめしてしまうかもしれません。

14 :名無しさんちゃうねん :2004/01/06(火) 19:16 ID:???
ああ〜。
 ごめん〜。忠吉さん、名前間違えとった〜。あ〜(泣)

         あたしなんかどっかとんでってまえ〜。

 ……さかちーさん、ご指摘ありがとうございました。次回Upま
で時間があるので、もう一度校正し直します。

15 :名無しさんちゃうねん :2004/01/07(水) 10:58 ID:???
よく間違えるよね、それ。
やはりあの事件が脳内に刷り込まれているのかな?

16 :『あなたには手作りの』《13》 :2004/01/08(木) 20:45 ID:???
                      ☆

デートなのにマグネなんかー? いかにもお嬢様に見える装いの春日はポテトを唇で上
下させて、言った。最大の版図を持つファーストフード店。いいじゃん、マグネ、猫猫。
ここじゃ猫はネズミと仲良しさんなんだぞ。ほならやー、つなぎは、ミミズ? ひとしき
り笑い声。隣に座った人は迷惑。
「ネズミっていえばさ」
 はぐはぐとバーガーを口に入れる少女。ハムスターって、寿命短いよな。首をかしげる
春日。そうなん?
「うん、短い」
 でも、ハムスターが死んでも、悲劇にはならないな。
「そんなことないで。死んだら哀しいもん」
うん、哀しい。智は窓の外に目をやる。そのときは、哀しい。そのときは? うん、死
んじゃったら、なんかそんなもんで。
 そんなことないやろ、あたしだったら泣いてまう。大阪泣くの? わからんけどわんわ
ん泣く。わかってんじゃん、泣くの。え? どーゆうこと? ともちゃん泣かへんの?
「わからない」
 予行演習があったからよかったのかもな、と笑う。予行演習って、なに?
「お母さん」
 そっけなく、ともちゃんが言った。
 それってどういうこと? ともちゃん、お母さんいてへんかったの?
 うん。伯母さんが近くに住んでるから、毎日通ってくれてる。
 おかあさん亡くなったとき、ともちゃんなかへんかったの。
「覚えてない」
 ともちゃんはそっけなく答えた。
 ドリンクのカップ持ち上げて振る、さくさく。
 真昼の影が、ちょっぴり長くなった。

                      ☆

17 :『あなたには手作りの』《14》 :2004/01/08(木) 20:46 ID:???
 私は、いいと思うな。神楽が口を開いた。
「だってさ、みんな気になる出来事だろ? 避けて通れないんだから」
 死を扱った物語は、興味を惹かれるからこそいいんだと神楽は言う。それは単に読者の
注意を引くテクニックだろうとよみが言うと、それは違うと神楽は答えた。
「それが意図的かそうでないかなんてことは関係ないんだよ。読んでる人はさ、ただ書か
れてあることでしか話の流れを掴めないんだもの。でも、作品の中で死んで、その後には
何も起こりようがないって処に、意味があるんだと思う」
「死んじゃったら、それでもうおしまいってことですよね」
 ちよちゃんの言葉に神楽はうなづいた。
「そしたら生きることに意識が向くんじゃないかな。つまり生きている自分達にも興味が
向くからこそ、死がテーマになりえるんじゃないのかなあ」
 私は頭が悪くてよく分からないけれど、と神楽が呟いた。
「でもそれだったら、楽しく生きる物語を書けばいいじゃないか。わざわざ殺す必要はな
いだろ? フィクションにつけ、ドキュメントにつけさ」
 よみは平静を保って問い掛ける。黒い毛糸玉、ぐるぐる。
「自分の存在をより強く感じたいからじゃないかな」榊が割ってはいる。
「たとえば、インターネットを巡ってたりすると、酷い殺され方をした猫の死体の写真が
載ってたりする」
 ああ、なんか事件になったな、と神楽。うなづく榊。極端な話だけれど、ああいうのは、
こんな酷いこと自分にも出来るぞ、って言う自己アピールだと思う。自分は周囲から愛さ
れるものを傷つけられるほど偉いんだ、って。
「全くとんでもない奴ですね! 」
 ちよちゃんが憤慨する。猫の死体のくだりで目を潤ませていたのに、いや、していたか
らか。怒りのオーラをめらめら発している。あたしもう絶対赦せないです!!
「でも、そんな気持は誰にでもあることだと思う」
 わたしは、その気持がよく分かる。大好きなものを壊してしまいたい気持。自分は愛さ
れないから、愛されるものを汚してしまいたくなる気持。榊の言葉に、はっとちよちゃん
は黙りこむ。
「そもそも、可愛いから守ってあげる、と可愛いから壊したい、に特別な違いなんて、あ
るのかな」
 自分が相手より上だと驕っている行為なんじゃないのかな。
 そんなことをいいながら榊は猫を撫でる。優しく猫を撫でる。

18 :『あなたには手作りの』《15》 :2004/01/08(木) 20:47 ID:???
「わたしは、猫を撫でることが出来なかったとき、それをぬいぐるみで、はたしてた」
「それは仕方ないじゃないか。だって、代わりになるものがなかったんだろ」とよみ。
「逆だよ。自分が満足するために扱おうとしていたから、ぬいぐるみ以外に触ることが出
来なかったんだ」
 犬や猫は頭の上から撫でようとすると攻撃されたと思うのだと榊は言った。撫でるとき
には視覚の外から手を伸ばさなくてはならないのだと。そうしなければ、脅えて逃げる。
「私が猫を撫でたかったのは、可愛くなりたいのに可愛くなれない自分への代償行為だっ
たから。猫の気持ちも考えないで撫でようとしていた。猫に、嫌われて当然だと思う」
 わたしは猫を撫でて当然、と思い込んでいたんだから。
「でも、忠吉さんやマヤーは? 」
 神楽の問いに、忠吉さんは出来た犬だから、といって榊は笑った。
「マヤーのおかげなんだ、こう思えたのは。マヤーがわたしを選んでくれたから。今まで
は、ぬいぐるみはわたしを選ぶわけじゃない。わたしが選ぶ、そう思ってた。でもマヤー
が私を選んでくれてから、一方的じゃなくて、相手の思いもあることが初めてわかった」
 沖縄で初めて猫に触れることが出来た。それがきっかけ。わたしが可愛いかどうか関係
なく、わたしを選んだ動物がいて。だから動物も人間と同じ感情があることを知って。
 な、と声をかける榊の手の下で、件の山猫は、あおー、と鳴いた。
 多分、榊にとってこの猫が沖縄のときに出会った猫であるかどうかは関係ないのだろう。
聞けばマヤーは榊とちよちゃんの危機を救ったのだと言う。そしてそんなことも越えて、
榊はこの猫が好きなのだ。そんな口ぶりだった。
「そしたら、ぬいぐるみさん達も、本当はわたしを選んでくれてたって事が始めてわかっ
た。心があるって気づけた。わたしのぬいぐるみさん達は、みんなわたしを好きだ」
 わたしは身勝手な人間だ。だからこれも思い込みかもしれない。別の事で誰かを傷つけ
てしまうかもしれない。でも、だからこそ大好きなもののために穢れてもいい。その覚悟
は出来てる。ちよちゃんの目と、榊の目があったような気がした。
好きな人に触れて貰いたい、触れたいって言うのもきっとその延長線上なんだと思う。「……それが間違った想いから来たものでも、ですか」ちよちゃんの問いに榊はうなづく。
「でも、さっきの猫の虐待写真をインターネットで流していた奴は、榊とは違うじゃない
か。榊は可愛がろうとして、向こうは悪意だろう」
「違わないよ、一緒さ」
 どちらも気持を通わせる気なんかなかったんだ、その時は。
 よみに微笑みかける榊。

19 :『あなたには手作りの』《16》 :2004/01/08(木) 20:48 ID:???
 自己満足でしかないんだよ。他者と接するのは。だからその接し方は千差万別。一概に
否定できるものじゃない。これは極端な例だけど、さっきのネットに猫の残酷死体を載せ
た人、あるいは載せる人達。彼らのコミュニケーションは他人を不快にさせることなんだ。
「絶対的な死の恐怖を目の前に突きつけて人の安定感を奪う。曖昧な自己に対して、死は
揺るがないから。その頑丈な壁越しに人と付き合えば、生身の自分は探られない。その上
自分達は死を超越した気持になれる。自分の万能感を汚されることなく魔王然としていら
れる」
 嫌な奴らだな。呟く神楽に、そうだね、と同意する榊。でも、彼らは決して徹底は出来
ない。
「大抵は、媚びるようになる。壁は厚くなるばかりで薄くなることは無いから。その壁を
越えてきた一部の理解者の存在が何より貴重になる。その彼らに気に入られるように、更
に刺激の強いものを作る。より受け入れ固い自分を創ろうとする。これは苦しい」
 いつも榊はつまらなそうな顔でスポーツをしている。勝ってあたりまえみたいな無表情。 
体育の時間だけで、校内の殆どの最高記録を塗り替えてきた榊。あんなに長い髪で。重い
だろうに、じゃまだろうに。今まで髪を縛ってスポーツしている榊を見たことが無い。水
泳のときさえも。
 よみはそんなことを思う。榊の言葉にふと思い出されて。
「でも、孤独になりたくてそいつらは壁を作ってるんだろう? 」
「うん、自分の中に踏み込まれないようにするために。みっともない自分を見せないため
に。でもそれは、本当は壁を乗り越えて欲しいって言う願望なんだと思う」
 本当は壁を取っ払って欲しいんだよ、きっと。
「かわいそうですよね、そう考えると」
「違うよ、自業自得じゃないか、そんなの」
 な、榊。神楽に同意を求められて、はっとした顔をする榊。
「……そうだね、私もそう思う」
 本当は、自分がどう見られるかなんてあまり関係ないかもれないね。それにこだわると
相手の気持ちを無駄にしかねない。そう言った榊は、ちよちゃんと神楽を見比べているよ
うな気がした。そしてまた、静かに笑った。
「やっぱり命は大事ってことだろ」
 よみは口にする。榊の心の中の、寂しさややるせなさに薄々気づきながら、よみは話す。
榊の言葉にやんわりケチをつける。よみの眼鏡の奥底に、悪意がちらちらする。
 榊とちよちゃんの関係に気づいているから。

20 :『あなたには手作りの』《17》 :2004/01/08(木) 20:49 ID:???
 みんなの話を悪意で捉えているのが、よみにもわかっている。誰もよみに押し付けてな
んかいないのに。分かっているのに止められない。よみは更に口を開く。
 生命を大事にするのは当然のことなんだから、よけいな事考えないでいいんだよ、と。
「生き物の命を大切に。宇宙船地球号。殺すのはやっぱり駄目だ」
「いや、それは違うと思う。殺さないのが正義じゃない」榊は断言する。
絶対的な死の恐怖で相手の思考を麻痺させて、人を従わせようとする行為。
 それは盲目的に動物は可愛い、命は大事、と言っている人達も同じなんだ。
 優しさや愛は何より大切で、命は地球より重い、と言い張っている人達も。
「それは、悪いことなんですか? 可愛いと思ったりすることは。命は大事と思ったりす
ることは。優しさや愛は残酷と同じ意味なんですか? 」
「勿論悪いことじゃない。でもリアルじゃない。優しさを売りにするのも、残酷さを売り
にするのも」
 どちらも、本当は死の恐怖から逃れたくて足掻いているだけで、一方的だから。
「命や愛の大切さをことさら説くのも、やっぱり死の恐怖からきてるんだと思う。代わり
に大抵生きることから生じる残酷さに目を伏せている。やたらに猫を撫でようとしていた
わたしと同じで」その手は大きくて柔らかい傷だらけの手。
 人は生きるためには食べなきゃいけないし、そのために何かを殺している。それは残酷
じゃないのかな? わたしが獣医になって、救われる動物もいるし、死ぬ動物もいる。
 どうして? 治療に失敗して死ぬ子がいるってことですか? 
 いや。どうしても獣医になるには、解剖実習や、実験はしなくちゃいけないんだ。
「薬だってそうだ。成分に動物の血肉は使われていなくても、その薬が人間に使えるかど
うかの実験で、多くのラットは死んでいる。私達の風邪薬一個は、何万ものネズミの死体
で出来ているんだ」 
 そして、そんな現実見たくはない、そんな薬ならわたしは使わない、というのは、人間
のもつ優しさじゃなくて自己満足じゃないかな。でも漢方薬は? 漢方薬だって、動物実
験はされているだろうし、治療ミスで死んだ人もいるんだよ、ちよちゃん。
 おいで、と榊はちよちゃんに手を伸ばす。吸い込まれるように榊に寄り添うちよちゃん
は、泣くでもなく脅えるでもなく、とん、と肩に頭を乗せた。
「時には残酷にならなくちゃ、人は生きていけないんだ」
 榊の声は艶やかで、思わず色気すら感じそうになるくらい、甘い。
「人間もただの動物なんだから」

21 :『あなたには手作りの』《18》 :2004/01/08(木) 20:50 ID:???
「でも、そう考えちゃったら、なんか、生きていくのが辛くなっちゃう」
「……だから普段は忘れているんだ。でも、人は時折、どうしても死と向き合わずにはお
れない。過度の生命礼賛や嗜虐趣味は、そこで向き合わなくちゃいけない自分の死から逃
れようとする行為なんだと思う。死の恐怖を克服するために」
 死の恐怖?
「永遠に孤独になること」
「そんなの、あたりまえじゃないか」
「そう、だからこそ興味深い。命を是が非でも大事と言う意見と、命を弄んでも平気と言
う意見は、死の恐怖に耐えられますか、と言うアピールなんだ。片方は持ち上げて、片方
は見下す。そうやって壁を作って、相容れぬお互いを罵倒しあって、罵倒することで死を
克服したつもりになっているんだ。それはきっと仕方のないこと。それもコミュニケーシ
ョンだからね。永遠の孤独からはちょっと解放されるんじゃないかな」
 だから、と榊はさっきから食って掛かっている水原暦の方を向いて、優しく笑った。
「生きることへのアプローチの仕方をもう一度見直すために物語が書かれる時には、どう
しても死がテーマとして語られるようになるんだと思う。そしてそれが捕らえ切れなけれ
ば捕らえきれないほど、無意味に過剰な表現になってしまうんじゃないかな」
 だから、物語に死が孕まれることに問題があるわけじゃないんじゃないか、と。
 そして榊は神楽を見る。神楽は満面の笑みを返した。
「すげえな、榊! 何かかっこいいぞ、おまえ」
 私はよくわかんないけど。そういいながらも、どうやら神楽は神楽なりに何か理解した
ようだ。
 よみにはわからない。いや、分かりたくないのかもしれない。

「じゃさ、その本はどんな本なわけ? 残酷に死を捉えているの? それとも生きるのは
大切だって言ってるの? 」
 神楽に問われて榊はなんだか困った顔をした。
「うん、どっちでもない」
 え? みんなは首を捻る。もしかしたらこれはさっきの論法で言ったら捉えられてるっ
てことなのかもしれないけれど、読んでみて。上手く説明できない。
「何て言う題名? 」
 問われて榊は、さっき言ったけど、と目次を開いて指差した。
 幸田文全集 1 父・菅野の記

22 :『あなたには手作りの』《19》 :2004/01/08(木) 20:51 ID:???
「自分で探したんですか? 」
「いや、木村先生に勧められた。源氏物語の注釈を聞きに行った時。いい話だから読んでみろって、涙ながらに」
「マジ泣きか? 」
「マジ泣き」
 話を聴いたときには、うら若い女子高生の話かと思ってたんだけど、読んでみたら主人
公は中年のおばさんで、途中までそれと気づかずに読んでビックリした。それ、きっとな
んか、主観を通して読んでたんですよ。わたしもそう思う。
「でも、ふと思ったんだけどさ」神楽が突然口をはさんだ。
「榊がさっき、愛とか優しさって並べて言ってたじゃない。あれって並べられるものじゃ
ないんじゃないかな。愛は優しさとはある意味対局にあると思う」
「愛? 」
「うん、だってどんなに残酷に見えても、私は榊が動物を、実験動物でもサ、悦んで殺し
たりするとは思えないもの。そのために助かる命があるとするなら、必要なことだろ、そ
れって。むごいけれども仕方ないんじゃないかな」
「でも、獣医が治す動物は飼い主が治療費を払った動物だけだ」
「そりゃそうだよ、商売だもの。でもその家族も獣医も、助かって欲しいって思うのは、
 そこに愛があるからじゃないかな。自分に関わったものしか愛せないのは仕方ないよ」
それに、優しさは、もしかしたら一方的かもしれないけれど、そう考えてみると愛って
お互いに感じあう何かがないと成立しないんじゃないかな。神楽が、そっと頬を染める。
「そしてそれはきっと、求めていなければ本当には手に入らないものなんだ」
 ぱちぱちぱち、突然の拍手に皆は後ろを振り向く。
「いやー、ええ話し聞いたわー」
 お、おおさか!? 突然の来訪者に、皆の口から驚きの声があがる。
「な、なんでこんなところにいるんですか!! 」
「ん? 門の側でちよちゃんのお母さんに会ってな、どうぞおあがりなさいっていわれた」
 にこにこしながら大阪は当然のようにコタツに潜り込む。
「そんで、何か面白い話してるなー思って、そっと聞いてたん」
「ん、ななな、な。ど、どうしてこんなこんな」
 神楽が金魚のように顔をパクパクさせている。大阪はにっこり笑った。
連載中)

23 :さかちー :2004/01/11(日) 02:36 ID:???
 こういう価値観の違いをぶつけることのできる作品を書けるのって
作者が物事を突き放して見ることができるのと自分とは違う価値観を
受け入れることができるのが最低条件であって、作家であるための
必要条件であると言えるとも思えます。そして、そんなことをできる
人間を尊敬します。俺にはどうしてもダメなんで。
 読んだ感想としては、俺の価値観と食い違うところはあるのですが、
(さすがにこれだけ論争をしていたら読者全員が賛同できるわけでは
ないでしょう。SSでは榊さんがいろいろ自分の考えを語っていて、それ
には賛同できるのですが、それでも俺は暦の言ってることの方が共感
できます。)それでもこの会話には惹かれました。神楽が話について
これてるのがちょっと意外でしたが。

24 :『あなたには手作りの』《20》 :2004/01/11(日) 22:04 ID:???
                      ☆

 夜の闇にまぎれて身体は部屋の中に。窓をきっちりと閉めて、カーテンを引く。
なんだよ。なに怒ってるの? あたしはよみに尋ねる。よみは答えない。
 ……まあいいや。それより、じゃーん。これなーんだ。
「箱? 」
 中身だよ、中身。
「分からない」
 えー? 分からない? ばかだなーよみは。どう見たってお菓子が入ってるように見え
るだろー?
 よみは眼鏡をかけた。まだ何が入っているかわからないらしい。だから真っ先に答えを
教えてあげた。シュークリーム、シュークリームが入っていまーす。ほら、ボーっとして
ないで、こっそりお茶入れてきて。あたしがいるって見つかるとやばいからさ。
「誰のせいだと思ってるんだよ」
 よみの言葉にあたしは首をかしげる。
「家に来れなくなったの、誰のせいだと思ってるんだよ!! 」
 カチンと来る。知らないよ、そんなこと。よみの魔女にでも聞いたら。
「母さんの悪口言うな!! 」
 どん、と衝撃。ばしん、と右手に痛み。箱が落ちる。あたしのわくわくが落ちる。
「こんなもん」
 あ。
 床が微かに揺れた。
「どうせみんなで笑いものにしてたんだろ。大学何度も落ちて、一人で勉強も出来ない怠
け者が、そんなふうに思ってたんでしょ!! 何がシュークリームだよ!! 」
 誤解だよ。その言葉が出てこなかった。踏みつけられてるシュークリームが、眼から離
れないから。どうしよう、アレ、掃除した方がいいよね染みになっちゃうしそれからよみ
のあしもふかなくちゃよごれちゃったからクリームで。
 あたしがさんじかんかけてつくったシュークリームの、クリームで。
 あたしはぼんやり考えている。
 なんだか涙も出ない、不思議。
 どうして、こんなことになっちゃったんだろう。
                       ★

25 :『あなたには手作りの』《21》 :2004/01/11(日) 22:05 ID:???
 ちよちゃんの家からの帰り道。
 だんだん気が滅入ってくる。他愛も無い会話を思い出して。
 夜がひんやりとくるぶしを浸してくる。よみは、溜息をつく。
 結局予期せぬ大阪の登場で結論はうやむやになってしまった。普段のよみなら榊の説に
ここまで不快感は覚えないだろう。死を扱ったテーマが大嫌い、なのではない。それとは
関係ないところで自分はいらだっているのだ。
 きっと榊は、自分の経験とこれから自分の進む道への覚悟から、ああいったのに違いな
い。そういえば榊はマヤーをただかわいがっているわけではない。この前も智の手を引っ
掻いたのを叱っていた。正しいか正しくないかはともかく榊の覚悟が見えた気がした。
「あーあ、死んじゃいたいなあ」
 口に出して、わざと夜気にぶるぶると身を震わせてみて。そのおどけた仕草は、本気じ
ゃないよ、という証。そしてどこかでそう願っている印。その方が楽になれるから。
 きっと自分がいなくなったとしても、世界は何も変わらない。次第に想い出話にも上が
らなくなり、墓に詣でるのは家族だけとなりまたその人影も絶え。
 仮に自分が死んじゃっても、私という死者に振り回されてみんなに苦しんで欲しくは無
い。でも忘れ去られることは寂しい。
 死の先に何があるんだろう。知りたい。でも知りたくない。
 そんな年頃だからかさっきから同じことばかり考えている。でも今日はひどい。思考の
ウロボロスぐるぐる。さっきの会話の中で、こんな風に思うきっかけがあった気がする。
思い出そうとしてみる。思い出せない。
 一人ぼっちの帰り道。いつもどおり自宅の門を開けて、土の上に敷かれた飛び石を辿っ
て、灯のついた玄関のインターフォンを押す。どなたさまでしょうか、の声。
「暦です。今帰りました」
 待つこと数秒。戸ががちゃりと開いた。
「お帰りなさい」
「ただいま」
「今日は、早かったのね」
 なんだか早く帰っちゃいけないような口ぶりだな。そんなふうに思っても口には出せな
い。こんなもやもやの中だと何を口走るか分からない。廊下を渡る途中、自分の部屋の中
に荷物を投げ込んでぱたりと戸を閉める。
 別に手伝いをしようと思ったわけでもないけれど、そのまま台所へ向かった。鳥の甘辛
く煮たいいにおいがする。

26 :『あなたには手作りの』《22》 :2004/01/11(日) 22:05 ID:???
「ちよちゃんは、ご迷惑じゃないの? 」
 料理を続ける母親がよみに尋ねた。
「大丈夫だって、まだ受験終わってない子も来てるんだから」
 何気なく嘘をつく。一つ目の嘘。
「どなた? 」
「榊さんだよ。獣医の大学って数少ないからもう一つうけとくんだって」
 二つ目の嘘をついて、喉も渇いていないのに、わざわざ水道の水をコップに入れて飲ん
だ。レタスがざるの中に千切ってある。今日はサラダも作るんだ。そんなことを考える。
「……滝野さん、来てるんでしょ」
「来てないよあいつは。自分の受験終わったから大阪とぶらぶらしてるんじゃない」
 これは本当のこと。哀しいくらい本当のこと。
 ほっそりとした母さんの身体。緩やかなウェーブのある髪。私が似ているのはかけてい
る眼鏡だけ。人生を段取り道理にこなしてきた女性。綺麗な顔に影を落とす、困ったよう
な眉の形、私のせい。
「暦、あなたのことは信用しているけど」
「わかってる」もうオチないから。唇だけの強がり。
「でもあの滝野さんがねえ」
「あいつはいつも本番に強いんだ」
「まあ、テストなんて運だから、たまたまってこともあるわよねぇ」
「うるさいな! しらないよ、あいつのことなんか!! 」
 お母さんは手を休める。掛けた眼鏡の奥にあるのは冷静な視線と哀れむような視線。
「暦、今年が駄目でもまた来年があるじゃないの」
 来年、来年になったら何があると言うのだろうか。来年また落ちたら? いや、そんな
ことより、私は一人ぽっちになってしまう。浪人なんかしたら。
「そうだ、来年は滝野さんの受けた大学受けなさいよ。あの子が受かるならあなたも……」
「止めてよ! 」
 思わず口をつく言葉。
「何であいつの後を私が追わなくちゃいけないの!! 」
 言ってしまった。私の心の封印。
 長年持ち続けて来た彼女への劣等感。そこからきている一番醜い部分。
 あなた、滝野さんのこと嫌いなの? 母さんが驚いて尋ねる。私がともを嫌いかって。
 はっ。そんなわけ、ない。

27 :『あなたには手作りの』《23》 :2004/01/11(日) 22:06 ID:???
 はっきりと思い出す。瞼に浮かぶ夏の情景。
 葬列の列。青空高い。黒い人々。堪える涙。
 死後の教。縦長の雲。
 喧しい蝉。
 喧しい蝉。
 涙流す大人達の中で。 
 静かにあの子の襟足。
 玄関の不思議な飾り小さなテント。
 大嫌いなあの子。顔も見るのも嫌。
 だから、いい気味だと思っていて。
 そしたら、ただ静かに、白黒の写真を持っているだけ。
 大人、大人、大人達の中で。
 その子はぽつんと立っている。
 一人で立っている。
 その時手を引かれた私。
 暦、そんなものずっとみているんじゃありません。
 他の大人は哀しそうなのに、母さんは哀しそうじゃない。その子と、母さんだけは。
 偉いわね、こんなとき泣かないなんて。
 母さんが初めて、ともを誉めた。
 私も偉いなって思った。かっこいいなって。
 わたしもこんなふうにおかあさんにほめられたい。
 だからそれがきっかけ。
 それなのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。
 涙が出そうになるから。思い出の景色を頭から払って。
「お母さんは、どうなのよ」
「私の友達じゃないわ。あなたの友達でしょ」
「別に、好きじゃないよ」
「じゃあどうして真夜中に遊びに来るの? 」
 よみは硬直する。知られていたのだ、深夜の密会を。
 母さん、どこまで知ってるの? どこまでって? いぶかしそうな母さんの声。でも決
してそれ以上口にしようとはしない。
 煮える鶏肉の音が、私の耳に溢れる。

28 :『あなたには手作りの』《24》 :2004/01/11(日) 22:07 ID:???
「どんな話、してた」
「忘れたわよ、そんなの」
 頭の中でぐるぐる思考が回る。不安が胸を締め付ける。
「いいのよ、あなたが私に嘘ついていたのは。子供に裏切られて裏切られて、それでも信
じるのが親なんだから」
 やっぱり信じてないんじゃないか! 何で娘が怒ったのか分からない、と言う顔の母に
暦は声を叩きつける。お母さん、私が大学落ちるって思ってたんでしょ!
「何でそんな話になるのよ」
「だって、裏切られても信じるって、別に私裏切ってなんかない、私の、実力が足りなか
っただけで!! 」
 駄目な娘。私は駄目な娘。劣等感と混乱が壊れた答えをつむぎだす。
 母さんは深い溜息をついた。

「あのね、もう一度聞くわよ。友達じゃないなら、何で滝野さんが夜、あなたの部屋に来るの? 」 
「それは、無理矢理……」
 無理矢理? 母さんの顔がすっと冷静になった。
「ちょっと、お母さん、何するの!? 」
「電話します。滝野さんのところに」
 電話の受話器を手にとった母はボタンを押そうとする。
「家の娘が嫌がっているのに、無理矢理部屋の中に入ってこないで下さいって」
「止めてよ! そんな事!! 」
 鶏肉の煮たのが焦げてる。もうお汁が随分とんじゃってる。母さんだって気がついてい
るはず。そんな事よりももっと大事な話をしているはずなのに。頭の中は鶏肉のことで一
杯。どんどん煮詰まってくる話。
「何でお母さんに関係あるのよ! 私と智のことでしょ!! 」
「二人だけのことなら何であんなこと言うの! 」
「あんなことって何よ! 」
 平行線、平行線。母さんがくるっと背を向ける。ようやくガスの火を止めた。

29 :『あなたには手作りの』《25》 :2004/01/11(日) 22:08 ID:???
「いい、暦。あなたのところに滝野さんはこっそり尋ねてくるのよね」
「うん」
「あなたは滝野さんが好きじゃないのよね」
「はい」
「無理矢理来られて迷惑してるのよね」
「迷惑だなんて言ってない! 」
「無理矢理って言うのはそういう意味も込められてるでしょ! 」
 反論できない。本当はただ一言いえばいいだけなのに、その言葉が出てこない。
 私嘘をついていました。智に、夜中に来てもいいって言ったのは私です。私は智が大好
きです。口ではいえないくらい好きです。そう言えば。
 でも、言えない。その好きはただの好きじゃないから。常識では赦されない出来事だか
ら。言ったら、母に嫌われてしまうから。それに一番重要なことは。
 智にまだ告白していないから。
「暦、あなたが迷惑だったら、母さんが滝野さんのところに電話するって言っているだけ
なのよ」
「じゃあ、私が、迷惑じゃなかったら」
「それはあなたの自由でしょ。好きにしたらいいわ。いつもみたいに隠れてこそこそ会え
ばいいじゃない」
「こそこそって何よ! 」
 私は悲しくなる。母さんはあの時は智を受け入れたのに。母さんが好きになった子だか
ら、好きになったのに。それなのに突然引き裂かれて。中学時代にクラスメイトだったの
に、殆ど口もきかなかったのは誰のせいよ。それにはお母さんが関わってた気がする。
「じゃあ、お母さんは何で智を褒めたの!! 」
「褒めてなんかいないわよ、あんな子」いつの話し? 尋ねた母さんに私は応える。智の
お母さんの、お葬式のとき。あの子、一人で偉いねって。
「……そりゃ、確かに母親がいないのは大変で、頑張らなくちゃね、とは思ったけれど。
……偉いのとは少し違うんじゃないかしら」
 母さんが忘れてる。あの時自分の言ったこと。

30 :『あなたには手作りの』《26》 :2004/01/11(日) 22:08 ID:???
「でも、あの時智は泣いてなくて、母さんも泣いていなくって」
 滝野さんのことは分からないけれど、とお母さんは口を開く。
「私だって涙が出たわよ。あんな小さい子を置いて死んでしまうなんて。普通の親だった
ら自分の事と照らし合わせて当然だわ。それを考えたら涙くらい出ますよ」
 嘘、嘘、嘘。母さんは嘘をついている。あの時母さんは泣いていなかった。だって、お
母さんは普通の人とは違うから。もしそれが本当なら、何で私は、いまとものことを……。
「……わかったわ。確かにあなたの前では涙を見せなかったかもしれない。それはそうよ
ね。確かお葬式には行かなかったはずだし」
「そんなフォロー、しなくていいよ!! 」
 遂に感情が爆発する。よみの声、それは絶叫といってもよかった。
「どうせ見間違いなんでしょ! 私が勝手に思い込んでいただけなんだ。これだって思い
込みに過ぎないんだ。あのこが私のこと好きだって思ってるのだって!! 」
 それはお母さんを苦しめるだけに吐き出された言葉。自分の本心を包み隠している言葉。
でも、どんな欲望を持っているかを暗に物語る言葉。もしかしたら同性に対して恋愛感情
があるのではないか、と予想させる言葉を吐いたつもりだったよみは、母親が思った以上
にショックを受けていないのに驚いていた。いや、ショックはもっと別のところから来て
いるらしい。母さんは一歩進んでよみの目を見る。
「暦。じゃあ何で、あいつの後を追わなくちゃいけないの、なんて言葉が出てくるの」
 はっとする。母さんが本気で怒っている。そして哀しんでいる。私のことを。
「なんて情けないことを言うの。あなた、滝野さんのこと友達とかなんとか言って、本当
は対等になんか扱っていないんじゃないの? 自分のほうが上だなんて思っているんじゃ
ないの」
 母さんの声は静かだ。水に浸したレタスがゆらゆらする音が聞こえるくらい。
「それに、滝野さんだって、あなたのことほっぽって遊びに行ってるんでしょ。同じ大学
行った大阪さんと一緒に。あなたが言うほど滝野さんはあなたを友達だなんて思ってない
んじゃないの」
 頭を殴られたような衝撃。昼間に自分が言った言葉が逆流する。

31 :『あなたには手作りの』《27》 :2004/01/11(日) 22:10 ID:???
 死ぬわけじゃあるまいし。
 会いたくなったら会えば。
 これから始まる新しい付き合い。
 私は友達だと思ってる。
 どれだけいい時間がすごせたかってこと。
 しがみつく必要なんかない。
 もっといい出会いがあるかもしれない。
 榊の為に説いた嘘。本当は自分のための嘘。
「黙ってよ! 何も知らないくせに!! 」
 自分の部屋に駆け出すよみ。頭の中ぐちゃぐちゃ。
 ばたん。激しく閉められた扉。母さんに叱って欲しい。構って欲しい。一人ぼっちでい
たくない。
 一人になりたい。口もききたくない。お母さんはむしろ謝るべきだ。
 二つの想いがごっちゃになる。
 ともに来て欲しい。智。とも。
 ぐー。
 間が悪いタイミングでお腹が鳴る。こんなに極まった状態でも空腹を感じる自分が馬鹿
みたいだ。恥かしい自分。だから悲しみにくれてみる。かたかた、窓が鳴った。突っ伏し
たベットの上からぱっと顔をあげて窓に駆け寄る。こんな時間に来るはずがない。まだ夕
方を過ぎて間もないくらい。でも来て欲しかった。カーテンを開ける。やっぱり気のせい。
誰もいない。
 二月の風かたかた。窓を揺らして。庭を見れば固い地面。くたびれかけた常緑樹。葉の
端が枯れかけてる。
 榊は中学の頃、運動部を総なめにしてきたのだと言う。もやもやが落ち着いてふと思い
出した。大会のときだけの助っ人要員。仇名が用心棒。勿論いじめにあったことは無い。
成績優秀。寡黙だがよく出来た生徒。笑わない超人。孤独な一匹狼。皆の、憧れの的。
それが高校に入って、どの運動部にも行かなかった。助っ人すらも、断った。会ったば
かりの頃は、世界を拒否しているようにすら見えた。
 大好きなもののために穢れてもいい。そう榊は言った。それは、大好きなものには汚さ
れてもいい、の意味もあるのではないだろうか。一昨日見た風景を思い出す。
 ちよちゃんの台所で見た光景を。

32 :『あなたには手作りの』《28》 :2004/01/11(日) 22:10 ID:???
「お茶、運ぶの手伝ってくるよ」
 よみが台所まで足を運んだのは、お手洗いで用を足すついでにお茶を運ぶ手伝いをしよ
うと思ったから。慎重にマヤーと遊ぶとも、本を読む神楽、寝くたれた大阪に声をかけて、
最も返事してくれたのはそのうちの二人だったが、階段を下りていったのはだから覗きに
いくためではなかった。
 トイレで用を足して、台所に向かう。中に入ろうとしてふと足を止める。その中の世界
はまるで一枚の絵のようだったから。生きて動いている一つの風景だったから。その美し
さを愛でるために、その足はしらず止まったのだった。
 まだ日が明るい時間なので明かりはつけられていない。けれども午後三時の台所はすっ
かり影を落としていて。心持開けられた明り取りの窓だけが光って外の景色を写していて、
風が部屋に柔らかく満ちていて。榊は座っている。テーブルに載ったお盆はもうお茶の支
度がセットされている。大ぶりのやかんが火にかけられている。ポットに入れるためのお
湯だ。ポットで水をあっためるよりも、沸かしたほうがおいしいのだそうだ。ちよちゃん
は冷蔵庫から大きなケーキ型を取り出す。あれはおいしいパウンドケーキだった。
 テーブルにケーキ型を置いて、ちよちゃんは榊の側に近寄った。こうなると榊よりちよ
ちゃんの方が目線が高い。榊がちよちゃんの肩に手をかける。キスをするな、と思った。
そんな雰囲気だった。女の子同士なのに、違和感はなかった。でも次の光景は予想外。唇
を近づけたのはちよちゃんの方だった。
 榊の顎がカクンと上がって、代わりに頭が下がる。ちよちゃんは押さえつけるようにキ
スをする。榊はそれを受け取るだけ。夢中で貪るちよちゃんに、唇を重ねるだけ。よみは
ぼんやり、ちよちゃんは随分背が高くなったな、なんて思う。榊の口元から涎、とろり。
 よみは動けない。動いたことで二人に悟られるのが怖いから。二人の邪魔をしたくなか
ったから。なによりこのまま見ていたかったから。
 突然ポン、と肩を叩かれる。びっくりして、思わず声が洩れそうになるのを我慢する。
「何してんだ、よみ」
「とも、おまえなんでここに? 」
「よみが遅いから、手間取ってるのかと思って、準備」
「トイレ寄ってただけだよ」
「なーんだ、うんこか」
「ち、ちが〜うっ! 関係ないだろ!! 」
 はっ、思わず大声を出してしまった。
 台所から、ばたんと音がした。

33 :『あなたには手作りの』《29》 :2004/01/11(日) 22:11 ID:???
 台所に入ると榊は何気ないそぶりで。ちよちゃんの動きはぎこちなく思えて、もしかし
たらそれは勘ぐりすぎで。いつ来たんですか? と尋ねるちよちゃんに、智はさっき来た
ばかりと答えた。へー、そうですか、お待たせしてしまってすいません。そう言ったちよ
ちゃんはいつものちよちゃんで、どきどきしているのはよみ一人だけのようだった。よみ
は堪えている。二人の関係がどうなっているのか尋ねたい気持ちと、さっきの光景を見て
湧き出している自分の身体の火照りを。
 
 榊はずるい。あんなふうに愛されて。ちよちゃんの愛を一身に受けて。
 榊は嘘つきだ。榊が別れて辛いのはちよちゃんとだ。みんなとじゃない。
 智とキスしたことはある。雰囲気に乗せられた偶然で。その幾度かはいつも、味わうの
に夢中で、相手の気持ちを確かめるに至らない。ともに触れる、ただ触れて撫でるそれだ
けの行為に私は恐れてなかなか手が出ない。触れた後はその執拗な接触を思い出して顔が
赤らむ。自らの欲望の羞恥によって。その醜い性欲によって。本心を隠したまま触る。全
くおまえは仕方ないなあなんて言って。腕なんか傷だらけじゃないかもう小学生じゃない
んだぞ、髪形に気をつけろよほらくしゃくしゃにしてやる。なんて友達を装いながら。
 下衆な欲望。でもそれ以上は出来ない自分。触れる、触る、撫でる、それ以上のことが
したい自分。ああ、汚い、死んでしまいたい。
 
 榊が髪を縛って走ったことが一度だけある。去年の体育祭のときだ。
 長い髪をきゅっと束ねて。それはちよちゃんの為。五つ歳下の少女のため。クラス対抗
全員リレーで、トップからほぼ最下位にまで落ち込んだのは、ちよちゃんの身体が私達の
身体に追いついていないから仕方のないこと。ちよちゃんは自分の力不足に涙した。榊は、
そんなちよちゃんのため走った。高校三年間、封印していた用心棒の力を解放した。あん
なに人が速く走れるものだなんて知らなかった。鳥肌が立った。
 あの時榊はにっこり微笑んだのではなかったか。あんな笑顔の榊見たことがない。みん
なに向けられることはない、愛しい人のための笑顔。楽しかったですね、と言うちよちゃ
んにうなづいてみせた榊。幸せそうな二人は、羨ましくて、それでも祝福したくて。
 榊、榊。あんたは怖くないのか。ちよちゃんと別れるのが。どんなきれいごとを言った
って、アメリカと日本じゃ遠すぎる。心変わりだってありえるんだ。
 榊、おまえは孤独を恐れないのか。死を恐れないのか。相手の、愛を信じられるんだ。ただの盲信じゃないのか。
 ちよちゃんも、そうだ。

34 :『あなたには手作りの』《30》 :2004/01/11(日) 22:13 ID:???
 二人の口付けを思い出して身体が熱くなる。
 静けさの中に聞こえた舌の音くちゅくちゅ。
 微かな微かな吐息、軋む椅子榊の座る椅子。
 息をつく。淫らで邪まな私の子宮の中から。
 指を這わせてみる荒い目のジーンズ越しに。
 机につっぷしてお腹の底に力を入れてみる。
 お尻の穴をきゅっと締める。呼吸を止める。
 指先の指紋と脳の襞で、智の身体に触れる。
 容易く篭絡されていく智、頭骨の檻の中で。
 あの子の恥かしい吐息を思い浮かべながら。
 おへそのあたりを軽く両手のひらで抑えて。
「くふーう」
 息が洩れる。頬が熱くなる。
 強く目を閉じて輪郭を思い描く。また呼吸を止めて強く思って。次第に満ちてくる心地
よさ充足感。開いた手のひら握って、じっとりと汗。脳の中で喘ぐとも。卑猥な言葉、従
順なとも。
 っくう、よみ、いくよお……。
 身を震わせてなくともの姿。全身を甘い痺れが走る。はあああ。大きな息をついて、脱
力するよみ。弛緩した口元から涎が垂れそうになって慌てて手をやる。つぷ。濃い涎が糸
を引いた。
 親と喧嘩した後で、思い悩んでいるときに、こんなことしちゃうなんて。
 思い出したようにお腹が鳴る、ぐー。深刻ぶっているのを嘲笑うように。 
 もう死んでしまいたい。
 どうしてこうなっちゃったんだろう。
 他の子達もみんなこうなんだろうか。
 日夜行われる自慰の罪に。
 肉を洗われているのだろうか。(連載中

35 :メロン名無しさん :2004/01/12(月) 08:44 ID:???

あなたという人が今という時に存在していることは、個人的に僥倖と感じています。おかげでとても触発されています。
「死」について、それを題材とした作品について、深い観察力を有していますね。こちらもいろいろ考えさせられました。まだ話は続行中なのでまだ断定的なことは言えませんが、反論したり賛同したりしたいことがかなりあります。
でも、言うとしてもSSを媒介として述べることになるでしょう。だって、そうでないと脆弱な自意識が悲鳴を上げるから……。弱い人間なのは自覚していますよ。
では、続きを楽しみにしています。

36 :名無しさんちゃうねん :2004/01/12(月) 11:08 ID:???
『あなたには手作りの』 キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!
独特の文体ゆえ、最初は多少戸惑ったが、今では快感だ。
暦の心の揺れるさまが上手に表現されてて最高でつ。
母親のキャラ描写もいい味出てるし。

37 :『あなたには手作りの』《31》 :2004/01/15(木) 22:13 ID:???
                      ☆

「もしもし」
「あ、いつもおせわになっております。水原ですが」
 あ、いえ、こちらこそ。そんなことをいいながらあたしはビックリしている。よみのお
母さんからの電話。こちらからかけて話をすることはあるけれど、向こうからかけてきた
のは初めてかもしれない。
 数秒の沈黙。言いにくいことなのか。向こうも戸惑っているのか。作りたてのシューク
リームのにおい、ぽかぽか。
 お母さんの話では、どうやらよみがわがままを言っているらしい。本当に子供みたいに、
なんて困ったような声はやっぱり親子だ。よみに似てる。だから今日の予定は取りやめさ
せてくださいな、なんて丁寧に言われると、自分のことのように恥かしい。全くよみった
ら、いつも本番に弱いんだから。
「あの、やっぱり、今日そちらに伺ってもよろしいでしょうか? 」
「え? 」
 戸惑ったような声。明らかに予想外の返答への驚き。言ったあたしだって驚いてる。こ
んなふうに許可を求めて行くのは初めてだから。
「今はまだ、寝ておりますけれど」
「じゃあ、もう少ししてから、様子だけ見に行くと言うことで」
 よみのお母さんは考えている。あたりまえだ。正面きって遊びに行くのは小学校の六年
生の、あの日から一度もなかったから。あの日の出来事は決定的だった。正直後悔もした。
でも、今となってはいい想い出。この高校三年間で、よみとの距離は元に戻ったのだから。
いや、むしろ進んだともいえる。人生なんてどう転ぶかわからない。
「じゃあ、お願いしようかしら」
「本当ですか? 」
 わーよかった、朝から作ったシュークリーム、無駄にならずにすんだ。
「あ、あの滝野さん」
「はい? 」
 わくわくした瞬間だったから、急に声をかけられて思わずびくっとする。何か怒られる
ようなこといったかしら。でも、聞こえたのは、合格おめでとう、という祝福の言葉で。
 あたしは大きな声で、はい、と返事した。
                   ☆

38 :『あなたには手作りの』《32》 :2004/01/15(木) 22:14 ID:???
 どれくらい寝ていたんだろう。
 食事の支度が出来たと言う母さんに返事もしないで。
 こつこつと、遠慮がちに叩かれるノックの音を無視して。
 どうせ今行ってもまた口喧嘩になるだけ。言い争いはしたくない。というより、負ける
喧嘩はしたくない。気を紛らわすためにつけるいつものラジオ。
 冷静な母さん。理性的な母さん。痩せていてプロポーションがよくて美人で。自分と似
ているのは、かけている眼鏡の形くらいのもの。後は父親似。体型もぽーっとしたところ
も、あの少し垂れた目元も。お父さんはもう帰ってきただろうか。
 窓の向こうの夜の闇を見詰める。今年は、通学途中の軒先の、梅の蕾がまだ開かない。
あの立派な枝々はいつもならもう少し早く花をつける。昼は澄んだ空気に融けるようにあ
って、夜は昼間融けていた暖かな光を持ったまま結晶し、しんとしている。この風景を観
るたびに安心するのだ。年が巡るのは、巡ることに気づけば慌しく思えて、やり残したこ
とに後ろ髪引かれる思いをするものだけれど。あの梅を見て年が巡ることに思いを馳せれ
ば、過去の優しさと未来の目新しさに踊りだしたくなるような心地すらする。それなのに。
他の梅はもう花を散らせているものさえあるのに。あの梅だけはまだ冬の装いのまま。
 私と同じ。
 凍えた蕾。
 智が来てくれたらいいのに。シュークリーム持って。二人で話をして、朝まで。今日会
ってないだけなのに、もう一週間も会っていない気がする。単なる逃避なんだって分かっ
てる。でも智に会いたい。智に触れたい。
 ダメダ。
 思い出して身を固くするお人形ごっこの思い出。
 中学時代の冷却期間のきっかけとなった思い出。
 ぎゅっと握られる拳。よみの拳。打ち付けられる片手のひらに、二度、三度。
 死んでしまえ! 忘れろ! 私の脳味噌!!

 お人形さん、可愛いですね。
 お洋服着代えましょうねえ。
 どのお洋服にしましょうか。
 触ってみてから決めますよ。
 ともちゃん、ともちゃんの。
 お胸大きくなったね。

39 :『あなたには手作りの』《33》 :2004/01/15(木) 22:15 ID:???
 こんこんこん。ノックの音。
 開く扉、驚き静止する世界。
 暦、あなた、なにしているの。
 お人形ごっこ。答えるとも。
 二人の裸の肌を風が撫ぜる。
 なんでそんな格好しているの?
 お洋服、着せ替えするため。
 かたかた、お母さんの身体。
 お盆の上のお茶、こぼれた。
 今日は珍しくおやつなんて。
 今日に限ってなんでだろう。
 シュークリームは沈黙して。
 お母さんの静かな声がする。
 誰がやろうっていいだしたの。
 とも。私は嘘をつく。
 お人形ごっこしよう。
 言い出したのは暦。
 ルールを決めたのも暦。
 お人形さんはいつもいつも一緒よ。そんなこと言って。
 ともちゃん脱いで。こよみちゃん恥かしい。
 甘えた声。もう来年は中学生なのに。
 赤ちゃんみたいな言葉遣い、二人。
 お人形さん、舐めていい?
 お人形さんキスしてあげる。
 ねえ、ともちゃん気持ちいい?
 うふふこよみちゃんくすぐったい。
 見つかってしまえば、終わらせなくてはならない遊び。
 見つかってしまって、終わらせなくてはならない遊び。
 滝野さん、洋服着て、お家に帰って。母さんの声。
 私の肌に微かな赤い痣。
 ともの身体にも同じ痣。
 唇の形。小さな唇の形。

40 :『あなたには手作りの』《34》 :2004/01/15(木) 22:16 ID:???
 中学のときどうして疎遠になったのか。それは私のせいだ。私の醜い欲望のせいだ。
 中学の三年間、かおりんや千尋と多くつるんで、智とは自分からは口もきかなかった。
 修学旅行のときも別の班で。それでもあいつは楽しそうにしてて。何だやっぱり、別々
で良かったんだって思って。それでも、時折、智は私に話し掛けてきて。だから。
「よみ、受験、どこ受けるの? 」
 あんなこと聞かれるなんて思ってもみなかった。
 どうせ別々の人生を送るんだからって思ってた。
 別れたものは二度と出会うこと無いと思ってた。
「よし、じゃあ、あたしもそこ受けよう! 」
 はっ、あんたにはムリね。
 そう応えたら、彼女は。滝野智は見事合格した。都下でも最難関校。彼女の偏差値じゃ
絶対に不可能な高校。あのときの私の思いは嫌悪と安堵。そんな卒業式の帰り道、智は私
の側に駈けて来た。
「水原さん」
「何? 」
「あたしは大丈夫だけど、水原さんは平気? 」
 よみって呼べよ。いつもみたいに。そう思いながら無関心を装って。
「何もまた同じクラスとは限らない」
「じゃ、もし、同じクラスになれたら、休戦してくれる? 」
「へ? 」
 唐突な発言に、私は脱力する。そんな私を指差して、我慢できなくなったみたいに智は
大声で笑う。
「ぷ、はははは、だっせーよみ! 眼鏡ずり落ちてやがんの! 」
 う、うるさい、うるさい! 真っ赤になって怒って、智が私と二人きりでも、他の人と
変わらない口調で話すのを聞いて。もう二人の間は、普通の知り合い以外の何者でも無く
て。だから安心して。昔の自分のことなんかすっかり忘れてて。
 智はまだ覚えてるんだろうか。
 私が忘れたことにしていることを。
 こんこん。窓が震える。
「よ」
 智がそこにいた。

41 :『あなたには手作りの』《35》 :2004/01/15(木) 22:16 ID:???
「何しに来た」
 鋭い声だった。自分でもびっくりするくらい。智が一瞬きょとんとするくらい。
 いつものように智が部屋に入ってくる。慣れた手つきで窓を閉めて、カーテンを引く。
「なんだよ。なに怒ってるの? 」
 人の気も知らないでのんきな声の智。イライラが溜まってくる。
答えない。答えてやるものか。昼間大阪と遊びに行ってたくせに。あなたが言うほど滝
野さんはあなたを友達だなんて思ってないんじゃない。そんな言葉がよみがえる。私の顔
を見る智。一瞬残念そうな顔。
「まあ、いいや。それより、じゃーん。これなーんだ」
「箱? 」
「中身だよ、中身」
 硬直している空気を何とか和らげようと必死におどけてみせる智。まるで自分が悪いこ
とをしているかのように。そんな顔をしないで。悪いのは私。
「分からない」
「えー? 分からない? ばかだなーよみは。どう見たってお菓子が入ってるように見え
るだろー? 」
 私は眼鏡を掛ける。何でこんなに智がはしゃいでいるのかわからない。智はにっこり笑
う。いたずらっ子の笑顔で。白い箱を掲げて誇らしげな笑顔で。
「シュークリーム、シュークリームが入っていまーす」
 なんだろう。この気持ちの悪い流れは。まるで私の望みを聞き届けたみたいな展開は。
誰かに仕組まれてる気がする。眩暈がして私は智を見ている。
「ほら、ボーっとしてないで、こっそりお茶入れてきて。あたしがいるって見つかるとや
ばいからさ」
「誰のせいだと思ってるんだよ」
 強烈な怒りが込み上げる。
「家に来れなくなったの、誰のせいだと思ってるんだよ!! 」
 私のせいだ。でも言わずにはおれなかった。
 そうしないと、今日の私の不安が馬鹿みたいだ。そして今の悩みも。タイミングが悪す
ぎる。もう少し早くきてくれればよかったのに。
 智の顔が強張る。
 やっぱり言ってはいけない言葉だった。だったら、黙ってて智。私の心が落ち着くまで。
「知らないよ、そんなこと。よみの魔女にでも聞いたら」冷たい智の声。もう駄目だ。

42 :『あなたには手作りの』《36》 :2004/01/15(木) 22:18 ID:???
 魔女。智は母さんのことをそう呼んでいた。
 暦ちゃんは悪い魔女に囚われているお姫様なの。それがあのときの遊びの設定。
 それで、ともちゃんは隣の国のお姫様で、一緒に捕われているんだ。違うよともちゃん。
どうして? だってお姫様同士じゃ結婚できないでしょ、王子様でなくちゃ。
 そっか。智は少し悩んだ末言ったのだ。こよみちゃんが王子様じゃだめなの? だめだ
よ、だって悪い魔女は私のお母さんだもん。だから悪い魔女が捕らえているのは私。
 違う! 
 私は過去に憤る。母さんは魔女なんかじゃない。
「母さんの悪口言うな!! 」
 智の手を払う。母さんは悪くない。智も悪くない。悪いのは私。私は悪い子で、駄目な
子。だから私の愛する人同士がお互いを嫌いあう。だからもう駄目。
 白い箱が床に落ちる。
「こんなもん」
 私は紙の箱を踏み潰す。あ。智が一瞬声をあげる。床が微かに揺れた。踏みにじる紙の
箱の固さとはみ出るクリームの感触。足元が見れない。自分が何を踏んでいるのかなんて
見れない。
 私の悪意が猫を殺す。
 どうせみんなで笑いものにしてたんだろ!
 口走る、心にもないこと。みんなの友情がありがたいのに。
 みんなの好意に応えることが出来ないからなんだろうな、心の冷静な部分が思ってる。だったらこんなこと止めればいいのに。怒らなきゃいけないって気持ちがうわ滑りして。            
 愛に、試験に、打ちのめされている人は、早々にこにこしたりしちゃいけないんだ。
 母さんは、うるさくて騒がしい子供が嫌い。私もそう。そんな子供は罰を受けなくちゃ。
 私は悪い子。愛している人のシュークリームを踏み潰してしまうくらい悪い子。
 それでも、そんな私に愛を感じるなら、私の孤独をわかってくれるのなら、こんなこと
で見捨てたりはしないよな。とも、とも、智。黒い毛糸玉ぽろぽろ解ける。
 友達なんて思っていないんじゃない。母さんは間違っていて、正しい。恋人と思ってく
れているはず。智は私を。本当は。
 それなのになんでそんな顔をするの。
「とも、あんたたいがいにしなよ」
 智は、ぽかんとした顔をして。
 聞こえてくるラジオの音、CMに入った。

43 :『あなたには手作りの』《37》 :2004/01/15(木) 22:19 ID:???
「そんなにあたしがおかしいか」
 無表情な智を睨みつけるよみ。
「いつも偉そうなこといってるクセに、おまえは駄目な子供だって、思ってるんだろう」
 智の顔に一瞬走る同情の色。それを見てますます眉間に皺を寄せるよみ。両手の拳がぶ
るぶる震えて。いかにも怒っています、と言う態度の、18歳の娘。そんな自分の態度に気
づいたのかよみは顔をそむける。真正面から智を見続けられないからかもしれなかった。
 激しく頭を振った途端、眼鏡が片方ずり落ちる。智の顔に笑みが走る。その顔をよみは
ねめつける。
「とも、あんたわたしのことすきなんでしょ」
 告白が異なる言葉でつむがれた。
 じり、と近寄ると、智は後ずさる。
 何を恐れているんだろう自分のお母さんの葬式でさえ涙を流さなかった子が。

 体裁ぶった大人達が、体裁ぶった式の中で無様に右往左往していた中、たった一人で立
っていたおまえが。たった一人で、全ての感情を脱ぎ捨てて。
 泣いたり喚いたりただの子供だった自分を超越して見えた滝野智。
 葬式の後、夏休みが開けた後、小学校の、クラス中の態度が一変していた。夏休み中の、
全校登校日のときからっその兆候は見えてた。智からは全く変わった姿は見えなかったけ
れど、全ての人が腫れ物を扱うよう智に接した。
 馬鹿だ。みんな馬鹿だ。智はみんなとは違うんだ。自分だったら絶対わんわん泣いてし
まうのに、あの時智は悲しそうでも寂しそうでもなかった。まるで死ぬことが怖くないみ
たいな姿。智を変えられるものなんか無いって思った。
 だから私は、登校してきた智に声を掛けられて嬉しかったんだ。
 智が私のことを選んでくれたから。

44 :『あなたには手作りの』《39》 :2004/01/15(木) 22:20 ID:???
 おーい、でぶよみ。
 なーに? ともちゃん。
 あの時の智の驚いた顔。今まで殆ど無視していたから。
 私の笑顔を見て、智の顔が赤く染まって、よみちゃんて、いつも本読んでるんだね、て
言って。
 二人で、ご本、一緒に、読みましょ。
 それから智はずっと一緒。智はいつも元気で騒がしくてでも私の前では違って。
 夏休みにはちょこちょこ会って。二学期からはいっつも二人で。
 何で智ちゃんとなんか付き合ってるの? なんて言うクラスメートもいて。何人かは同
情で付き合ってるんじゃないかなんて余計な気すら回して。
「智ちゃんがいっつも私の後を追って来るの、本当に仕方の無い子よね」
 私の言葉でみんな納得して。よみちゃんしっかりしてるねって。よみちゃんのお母さん
みたいだねって。ともちゃん子供みたいだもんねって。
 でもみんなは知らない。母親の葬式の日の智の姿。あのすっと伸びた襟足。
 私だけが知ってる智の素顔。
 偉いわね、こんなとき泣かないなんて。
 私は覚えてる。母さんの言葉。
 私は母さんが大好き。母さんはあの時ともをほめてわたしもえらいなっておもって。

「私はあんたが大嫌い」
 もう智に噛みつけるくらい近くのよみ。智の手を掴む。床にぺたりとくっつく足跡。ク
リームの足跡。
「望みどおりにしてやるよ。あんたがしたかったこと」
 誰の言葉? 誰の望み?
 つかんだ智の手首は固くて。思わず自分の全身にも力が入る。ぐいと引っ張れば智の足
がカスタードクリームで滑る。抵抗の前屈みが崩れて。よみはその身体を力いっぱい抱き
しめて。
 殴りつけるように乱暴なキスをした。

45 :『あなたには手作りの』《39》 :2004/01/15(木) 22:21 ID:???
「や、だ」
 智が頭を振る。よみの手は頭をぐっと押さえつける。しばらくもみあう二人。智のパジ
ャマのボタンが次々外れていく。もともとこの手のパジャマはボタンホールが広いから。  
智はどこまで暴れていいのか分からない。腰が捩れる。足がつりそうになるまで突っ張
られる。形良い鎖骨が見える。白い肌が蛍光灯に照らされる。
「め、て」
 よみの息は、荒い。智の唇から血。
「やだあ! 離れろ!! 」
 ぱしんと拒絶の声。きっぱりと、遠慮を切り捨てた声。
 思わず身体をよけるよみ。ペタン、と尻餅をつく。二人とも乱れた呼吸。睨みつける智。
「な、んで」
「あんた、何考えてるんだよ! あたしが作って来たシュークリーム足で踏んづけて、突
然、押さえつけて。あたし、よみに喧嘩売られるようなことした?! 」
 ぽかんとするのは、今度はよみの番。何かずれている。
「だって、智」
「私、よみのこと、友達と、思ってた」
 搾り出すような声。よみの緩んだ頭がすっきりとしてくる。混乱は収まらない。怒りの
衝動は緩やかな下降線を辿る。でももう遅い。潰れきったシュークリーム。
 ともの、手作り、でるのはかすれた声だけ。
「中学の時、よみと、ほとんどしゃべらなくて、あたしそんなに悪い事してたんだって」
 お母さんが死んじゃってから、親しくなったのよみぐらいだったし。その呟きを聞いて
よみは驚きを隠せない。何で、こんなことを言うんだろうこの子は。
「夏休みの後、学校に来たらみんな、避けてた、あたしのこと。一人ぼっちで寂しかった。
でも、いつも虐めてたはずのよみだけは違った。なーに、ともちゃんって言ってくれた」
 そんなはずはない。だって、智はあのころもいつもどおりに振舞っていて。
「みんなあたしに付き合ってくれてた。かわいそうだからって。でもみんなあたしをお母
さんのいない子って目で見てた。よみだけは違った、あたしを見てくれてた」
 それはそうだ。でも。そうじゃない。
「ともは、お、おそうしきのとき、ななないてなかった」
 よみの顎がかたかた震える。口にだすのが恐ろしいみたいに。
「わかんないよ! おぼえてないんだもん! 」
 智の声が、一際高くなる。

46 :『あなたには手作りの』《40》 :2004/01/15(木) 22:22 ID:???
 お母さん、入院してるうちにどんどん悪くなって、肌なんかむくんじゃってぱんぱんで
でも三日前行ったときは元気で。冗談なんか言ってた。それが急に悪くなって。あたしは
病室に入れてもらえなくって。だからね、外で大騒ぎしたのそれで無理矢理中に入った。
そしたら……。

 よみは目をそらしたい。でもそらせない。智の目は虚ろでぺたんとベッドに腰を落とす。

 お母さんの顔、真っ白で。ピクリとも動かないで。親戚中のあたしの知らない人たちま
で集まってて。あたし、元気な声で呼んだよ。お母さん、智だよ。ごきげんいかが? 何
度も何度も。お父さんが呼んでも起きないって。でもね。あたしが呼んでたら、お母さん
微かに動いて、ともって。あたしの名前呼んで。モルヒネの麻酔から覚めて。 

 よみは目を見張る。あの時の智だ。話しているうちにしゃんと伸びた身体。蒼褪めた顔。

 うおも、って言うんだよ。うおもうぇんうぃ、って。お母さん元気? ってきいたら、
うんってうなづいて。あんなにはっきりしゃべってた母さんが、呂律が回らないで、うお
もって、あたしのこと。元気なはずないのに。何度もうなづいて。すごいな、智は、やっ
ぱりお母さんは智のこと大好きだったんだなってお父さん言って。その父さんの顔はもう
すっかり平常で。そしたらお母さん震えだして。みんなこのときを見せたくなくて、あた
しを遠ざけてて。でもお父さんがあたしの手を引いて。一緒にお母さんの手を握ってあげ
ようって。お母さん大好きだよって言ってあげよう、父さんと一緒にって。あたし、あた
し母さんの手を握ってそしたらもうてが、てがふるえていて。おとうさんのてのひらが、
あたしのてのうえからかぶさって。おかあさんのしわがぜんぶひきつって。

 追体験する。智の記憶。聞きたくない。でも聞きたい。
 だって気になる出来事だろ、神楽の声、幻聴。

 いっそ楽にしてやってください、って叔母さんが言って。父さんが、そんなこというも
んじゃないって叫んで。お医者さんは生かすために頑張ってくれてるんだ、殺すためじゃ
ないって言って。突然お母さんの顔色が変わって、喉の奥から声が出て。お父さんは、よ
くがんばったなって、いって。あたしの手の中で母さんはゆっくり物になっていった。
「そこからの記憶が、あたしにはない」

47 :『あなたには手作りの』《41》 :2004/01/15(木) 22:24 ID:???
 七月の末。
 影が濃い。
 夏の葬列。
 黒い人々。
 縦長の雲。
 青空高い。
 啜り泣き。
 堪える涙。
 坊主の経。
 死後の教。

 無感情の葬式。
 無感動の葬式。
 記憶は曖昧に。
 意識は胡乱に。
 白黒写真の額。
 写し出す青空。

 帰らぬ人。
 棺中の母。
 菊の標本。
 白い帷子。
 犬の鳴声。
 母の愛犬。
 沈黙の列。
 囁く悲劇。
 喧しい蝉。
 喧しい蝉。
 静かにあの子の襟足。
 放心が痛々しい姿の。
 真っ白なともの襟足。
「だから泣いたかなんて覚えてない」

48 :『あなたには手作りの』《42》 :2004/01/15(木) 22:24 ID:???
「聞きたくない! 」
「だめ、聞いて! 」
 よみのうろたえた声に、智の声がかぶさった。
「あたし、今までも、よみのことお母さんだなんて思ったことないから! お母さんはお
母さんで、よみはよみだから!!」
「そんなこと、わかってるよ」
「私もよみのお母さんじゃないから」
 ああ、そうなんだ、と思った。それはそうだ。よみも分かっている。当然だ。
 でもなんでこんなにぽっかり穴があいているんだろう。
「何で、私と別の大学受けた? 」
「だって、よみの志望校は東大でしょ……。あたし受かるわけ、ないじゃん」
「でも、努力すれば」
「あたし二校しかうけられなかったもん! お父さんと、そういう約束なんだもん! 」
「じゃあなんで、大阪と一緒に」
「あたしが選んだんじゃない! 大阪が選んだんだよ!! ともちゃんと一緒のところう
けよー、とか言って! 」
 よみはただ聞いている。完全に弛緩して。智の声だけでなく、夜の音まで微かに。ラジ
オの番組の、常連の葉書が読まれるのなんか聞こえて。
――さあ、読むぞ〜!! 「昨日カツアゲした金でトンカツ食ったんだボヨ〜ン」
  つまんねーぞ、これ……――
「何で、よみは笑うの? 今」
 はっとする。まさかラジオが耳に入ってなんていえない。笑ってないよ、と答えてよみ
はのろのろと立ち上がる。さりげないふうを装って、ラジオのスイッチを切った。
「……あたし、よみとは、もう大丈夫だって思ってた」
 言葉の意図が掴めずに、よみは奥歯をぎゅっと噛む。
「中学のとき、よみはあたしを避けてた。よみはあたしのことわかってくれてるって思っ
たから、それほど不安にはならなかったけど。避けられるきっかけがあったから」
 そうだ、お人形ごっこのことだ。
「……中学の自己紹介のとき、あたしの自己紹介で、よみに嫌な思いさせたから、そのせ
いかと思って」
 は? よみは眉を寄せる。
 何のことだ?

49 :『あなたには手作りの』《43》 :2004/01/15(木) 22:25 ID:???
「よみは、中学に入るころから背がぐんぐん伸びてきて、プロポーション良くなってきて」
 それは確かだ。六年生の三学期のとき、何人かの男子から告白を受けた。今まででぶで
ぶ言っていた男子達。誰よりも早くブラジャーを着けた私。生理が始まってから、ぷくぷ
くだった身体が急に伸びた。
「なのに、あたし、自己紹介のとき」
 思い出した! こいつは、小学校の時一緒でなかった他小学校出身者なんかの前で、よ
みのことを長々と話したのだ。ぷくぷくが今じゃこんなに立派になりました、でも眼鏡は
相変わらずでーす、とか言って。しかも現実より少し、いや、大幅に誇張して。智は物語
を作るのがうまい。クラス中の爆発する笑い。教師すら笑って、笑わないのはよみ一人。
「あの後大喧嘩して」
 そうだ、あの後からだ、本格的に口をきかなくなったのは。
 しゃべるんじゃないかと思ったからだ。お人形さんごっこのことを。誰彼構わず。智へ
の罪悪感や、普通の人と違うんじゃないかって言う恋愛観。そうだ、性欲を感じるように
なったのは、ちょうどちよちゃんと同じくらいの歳だ。私の罪の原体験。性の原点。
 そうか、お母さん。
 相手を友達じゃないと思ってたのは、智じゃないんだ。
 それは私だ。
 勝手にともを祭り上げて、自分の型にはめて。自分の過去の都合の悪いことに蓋をして、
自分を被害者にして。ともなら分かってくれるって、思い込んで。自分が認められること
ばかり考えて。ああ、死んだほうがまし。この考えなし。
「あれからよみとは気まずくなっちゃって。でも、失いたくないから、同じ高校に入った。
このままだったら、よみが離れていきそうで。あたし、よみと友達に戻りたかったから」
 胸がちくんとする。とものそんな想いに、あのときから気づいていたから。自分が智を
信じて、我を張らなければすぐに修復できたはずだから。それなのに何が、今は智が好き、
だ。ぜんぶともの努力じゃないか。わがまま言ってたのは、私だ。
 よみの気持ちが、すうっと落ち着く。ばかばかしいくらい単純に。
 ともはどうなんだろう? 陶器のような無表情。その身体がぴくぴく震え始める。打ち
のめされた身体。胸元がはだけている。シンプルな胸当てが見える。胸の白い谷間。
自分のせいとはいえ、こんなときどんな言葉をかけていいのか悩む。とりあえず胸のボ
タンを止め直そうか、そう思って手を伸ばせば、びくっと智の肩が震える。一瞬の躊躇。   
途端、ともの顔が歪んだ。顔の皺が中央に集まるように。ぽとぽと。こぼれるのは涙。
「もう、別の学校でも、ずっといっしょっておもって」

50 :『あなたには手作りの』《44》 :2004/01/15(木) 22:26 ID:???
 ぃ……ぁだあ。
 え? 智の喉から嗚咽と共に洩れる声に問い返す。
 噴出し始めた激情。ともの心。
「もう、一緒じゃなくても大丈夫だって、思って。一緒、…から、一緒だから。別のだい
がくうけてもいっしょ……から。ふたりの、仲……、われない」
「とも」
「もう、よみ、が置い、てか…ないって、…もったから、大学……。ぅ」
「とも」
「もうやだ、いまのだいがくやめる」
「え? 」
「今の大学辞めてよみのにするよみのとこにいく!! 」
「とも、そんなこと言ったって、私、次のも落ちるかもしれないんだよ。東大なんだから」
「おちないもん、よみうかるもん! うかってとおくにいっちゃうんだもぉん!! 」
 もう、むちゃくちゃだな。途方にくれて呟く。話が通じない。溜息一つ。
「なんかもう私、死にたくなってきたよ」
「っ!! 駄目ぇ! 死んじゃだめ」
 おかあさんみたいにしんじゃだめぇぇぇぇっ!!
 凄い力でよみの手を握るともの手。だめだめだめだめえええええ。だめ。
 死んじゃ駄目。だめよおうおうおう。
 獣の声。ともの身体の底の底の底の真っ黒くぽっかりあいた穴から吹き出る風の音。
 ごお。ごおごお。
 とも、だめ。大きな声。お母さん来ちゃう。お母さん来ちゃうよ。それでも泣き止まぬ
声。爆発したような叫び声ともの声。だめだって、大きな声出したら、お母さんが来ちゃ
うの。だめだめだめ、おおきなこえだしたらだめ。
「ともぉ、しづかにしてえ! 」
 ともの全身を布団で包んで、出来るだけ音が大きくならないようにする。やるせない。
 とにかく今は落ち着くことから。でも私も泣いている。よみのまなじりからも涙が止まら
ない。本当は、辺りのことなんか気にせず、泣き叫びたい。二人で、一緒に。でも、おか
あさんにみつかったら、だめ。滝野さん、お家に、帰りなさい。だめ。
 手の甲に食い込んだ爪。血が流れるほど強く。
 こんこんこん。ノックの音がした。(連載中

51 :名無しさんちゃうねん :2004/01/18(日) 10:12 ID:???
伏線の張り方、時間軸の交差、テーマ、表現力……私の目から見るとどれも一級品です。
これだけのものを、しかも短時間で書ける人が、なぜ今現在あずまんがの二次創作を手がけるのか……などとイケナイことを考えてしまいます。
とにかく話も収束に向かっています。最後の締めを心待ちにしています。

52 :名無しさんちゃうねん :2004/01/18(日) 11:15 ID:???
>>45
> 「や、だ」
>  智が頭を振る。よみの手は頭をぐっと押さえつける。しばらくもみあう二人。智のパジ
> ャマのボタンが次々外れていく。もともとこの手のパジャマはボタンホールが広いから。

え? すると智はパジャマ姿で暦の部屋に来たってこと? 

53 :名無しさんちゃうねん :2004/01/18(日) 11:17 ID:???
つ・づ・き!
つ・づ・き!

54 :『あなたには手作りの』《45》 :2004/01/23(金) 12:30 ID:???
                   ☆
 
時代の節目節目には、えてして死をモチーフにした創作が世を賑わせるんだよ。江戸末
期の残酷絵しかり、大正末期の推理小説ブームしかり。
へ〜え、受話器の向こうの友人の声に春日はすなおに感心していた。
 お風呂も上がって後は寝るだけの春日歩は、ふと今日の智の『よみん家にシュー激クリ
ーム作戦』の行方が気になっていたのだった。あいかわらず智のセンスはそのまんまだが、
協力したいと思ったきっかけは作戦名からではないので構わない。
 でも、なんでこんな話になっとるんやろ。
『ちょっと、大阪! 聞いてるの? 』
「あ、はい、聞いてます聞いてます! 」
 あんまりともちゃんがすごいから感心してただけや。感心されてもなあ、だってこれ、
あたしが感じたってだけだし。根拠はないよ。珍しく謙遜する智。
「でも、なんで推理小説が死をモチーフにした物語なん? 」
『殺人が物語のきっかけってのが多いじゃん』
 そかー。春日はまた感心する。それって、人の死について語られる物語やなくて、人が
死んだ状況を利用した物語なんやな。死は現象やなくて条件なんや。
「死は絶対で動かんからな」
『何かかっこいい表現だな、それ』
 実は榊ちゃんの受け売り、とは言わないで大阪は褒められるままにしておく。いつもは
自信満々な友から褒められるのはいい気分だ。
『大阪の言い方からすれば、絶対、だから記号にしやすいんだろうな。特に時代の節目な
んて混乱状態なら、分かりやすい目印が必要だもんな』
「ほー」
 大阪の身体は毛布に包まれ、椅子から伸びた二本の足は足首まで厚手のソックスに覆わ
れて。長電話対策はばっちりだが、お母さんがお父さん用の湯飲みに入ったミルクティー
を手渡してくれた。ふーふーして口に含む。お母ちゃんありがとな。
「ほならやー、そんな物語が多くなって来たら、時代の節目が近づいてるってこと? 」
『さっきまでの話ならそんな流れでもおかしくないな』
 大阪は黙ってミルクティーを啜る。

55 :『あなたには手作りの』《46》 :2004/01/23(金) 12:31 ID:???
『そう言われてもう何年もたつけれどね』
「じゃあ安心や」
『でも、いずれはくるから。もしかすると、突然に』
 ああ、春日は思い出す。もうあれから8年が過ぎてしまった。もしあの事件がなければ
春日一家は東京に来ていなかったかもしれない。自分の身の回りに、無傷な人はいなかっ
た。心か肉体か財産にみんな傷をおって。あの未曾有の大震災。それでも。
「それでも、笑う人はおるんやろな。どんな酷い目にあっても、ほんわかぱかぱかってお
昼の12時に流れてきたら、条件反射でも、笑ってまう人おるもんなあ」  
 ぽたぽたっと拳に何かがかかる。何が起こったのか視線を動かして。ああ、涙や。二筋
の雫がつるつると頬を滑っていく。
「ともちゃん、問題はやっぱり、生きるか死ぬかには、ないんやね。人間は思ったより、
タフやもん。日常と繋がっているって思えたら、結構生きていけるもんな」
『だからこそ、愛が必要なんだよ』
 神楽も色々考えることがあったんだな。愛、か。確かに優しさだけじゃ愛は成立しない
かもしれないな。多分、愛は死より強いな。勝手に論旨をすすめていく智に大阪はクエス
チョンマークを投げかける。え? ともちゃん何言うてんの?
『愛って言う感情はさ。多分無くなることがないんだろうなって思ったんだ。もし酷い目
に合わされても、大嫌いだって思っても、例え死んでしまっても』
「え? 」
『好きや嫌いは、その状況時々で変わるものだと思う。でも愛は、嫌いになってもどこか
に残るんじゃないかなあ』
「だったら、好きっていうたほうがええやないの」
『大阪はそのへん、わかってるからなあ、あたしと違って』
 大阪はぱっと顔が赤くなる。先日一足早い卒業祝いのお泊りをしたときに智とは色々話
をしている。そのことを思い出してだ。泣いたり赤くなったり、器用やな、あたし。
『でも、人は一人じゃ生きていけないしさ。二人だけの世界がないのと同じように。だか
ら捕われるんだろうな。所有欲もあるだろうしね。で、捕われないで相手を愛するのが究
極の愛』
「捕われないって、何に? 」
『感情に、理性に、生に、死に』
 そっとミルクティーを啜る。分厚い湯飲み。まだ温かい。

56 :『あなたには手作りの』《47》 :2004/01/23(金) 12:32 ID:???
「よくわからんわ」
『うん、あたしも』
「じゃ、よくわからんこと、ともちゃん長々喋ってたん? 」
『わからないから話したかったんじゃないか』
 さも当然といった口調は、確かにそうだと思わせて。ああ、もう負けた。
『でも、神楽の言う愛の考え方はあたし好きだな。どうして愛なんて単語があいつの口か
ら漏れたのか。結構神楽って優柔不断じゃない? 例えば恋愛なんて特に奥手そうだしさ』
 春日は、神楽がどうしてそんなことを言い出したか何となくわかる。でもな、それはい
われへんねん。語られぬ物語も、あっていい。
『求めていた愛は、きっと思いもかけぬところから蘇るんだよ。もし当人がとうに死んで
しまっていても。まるで生きているかのように。だから恐れないで自分も求めないと』
 それって、どういうこと? 尋ねた春日に智は答えない。微かに自慢げな鼻息が聞こえ
た気がした。けれどその声はすぐに驚きの声に変わる。
『ああっ! もうこんな時間。予定の時間に間に合わないよ。この話で時間とりすぎちゃ
った。日が変わらないうちに行こうと思ってたのに』
「まだ十分時間あるやん」
『まだシューにクリーム詰めてないんだよ』
 それ、自分が悪いんやん。うるさい大阪!!
『じゃ、もう切るから。『よみん家にシュー激クリーム作戦』のために! 』
 ばいばいの声もないままに、ぷっつり電話が切れる。春日は受話器を戻してもう一度耳
元に当てる。慣れた手つきのプッシュホン。んしょんしょ。消化不良気味の話を解消する
ためには大好きな人の声を聞くのが一番いい。
 『よみん家にシュー激クリーム作戦』か……。呼び出し音を聞きながら春日は考える。
 相変わらずネーミングセンスはそのまんまやな。
 ほどなくがちゃ、と言う受話器をとる音。あ、もしもし? 
『あゆむ? 』
「うん、今、電話平気? 」
 勿論さ! 受話器の向こう側の声が途端に甘くなる。きっとあたしの声も甘いんやろな。
 あの二人もうまくいってくれればええんやけど。
こくん。一息残ったミルクティー飲み干した。

                       ★ 

57 :『あなたには手作りの』《48》 :2004/01/23(金) 12:33 ID:???
 こんこん。鳴り止まないノック。押さえつけられた智の身体もびくりと震えた。
「とも。本当に、静かにしてて」呟くと智はまだ激情に全身を波打たせながらカクンカク
ンと二度うなづく。今智は自分の感情と戦ってくれている。私はそれに答えなくてはなら
ない。例え、そこにいるのが母さんでも。
 よみは立ち上がって「はい」とドアをあける。ノブがひんやりとしていた。部屋の中が
覗かれないよう、薄暗い廊下に滑り出る。
「うるさいぞ、暦。眠いのに」
「お父さん」
 予想外の人物によみは驚く。驚きはそこにいた人物の意外性だけではない。その手に持
っているものも。
「ごめんなさい。……お母さんは? 」
「ぐっすりさ。父さんはトイレに行った帰りだ」
 どっしりした父。眠いというわりに口調はしっかりしている。穏やかな声。その手には
大ぶりの電気ポットと盆に乗った二つのティーカップ。
「ほら、友達来てるんだろ」
ありがと。すなおにうけとって、父の顔を見る。小太り目で、母さんより少し背が低い
父。眼鏡はかけていない。でもとてもとても優しい目。
「ポットには水を加えてあるから、沸かし直したほうがいい」
「ありがとう」
「母さん泣いてたぞ」
 身体が強張る。申し訳ない気持ちに強く強く奥歯を噛む。
「私の育て方が悪かったって。暦はそう思うかい? 」
 暦は首を横に振る。力いっぱい否定する。
「暦。そんなに否定することはない。君を育てたのは私達二人だからね。子供の欠点は親
にも責任がある。――むしろそれに気づいた後が大切だ。そこからは暦自身の責任だから。
誰のせいでもない」
 お母さんは、たまにヒステリーだろう? それに理屈で人をへこまそうとする。その言
葉によみはうなづく。それに好き嫌いも激しい。
「だったら、それに気づいた段階で、もう母さんのことはいいじゃないか。彼女はそうい
う人間なんだよ」
「じゃ、我慢しろってこと? 」
「そうじゃないやりあえばいい。徹底的に。思っていることを打ち明ければいい」

58 :『あなたには手作りの』《49》 :2004/01/23(金) 12:34 ID:???
 よみは、わからない、という顔をする。お母さんのこと、もっと気づかえってことだと
思ったら、徹底的にやりあえだなんて。お父さんの言うことはいつも飛び飛びでわかりに
くい。そんな娘の表情に満足げな父の顔。
「まあ、母さんには父さんがいるから大丈夫ってこった。キミは好きなだけ甘えなさい」
「それってのろけ? 」
「違う。事実だ」
 そう言って父のチョップがよみの頭を打つ。激しく見えるけれど、痛さはそれほどでも
ない。お盆の上のティーカップがかちゃかちゃ震えただけ。お母さんが怒ったっけ。止め
て下さい、暦が真似したらどうするんです! 大丈夫だよな、これは本当に大好きな人に
しかしないんだもんな。お父さんの言葉によみはうなづいて。うん、私大好きな人にしか
しないよって――。
「父さん! 私、今好きな人がいてね、それで――」
「まあ待て」
 父さんの手のひらが暦の顔の前でぴたりと止まる。
「お父さんは、明日も会社なんだ。これ以上難しい話は勘弁してくれ」
 そういうお父さんの顔はにっこりと微笑んでいる。
「いいかい暦。世の中には語らなくてもいい物語があるんだ。語らなくても、通じるもの
は通じる」
「でも言わなくちゃ」
「口にすることで終わるものもある」
どきんとする。まるで自分の未来を言い当てられたようで。
「……まあ、終わってから始まるものもあるから、恐れることはない、か」
 ほら、お友達待ってるぞ。父さんの視線がドアに向いた。こくりとうなづく暦。
「お父さん」
「ん? 」
「お休みなさい」
 ありがとう、という言葉をぐっと飲み込んだ暦を、父親は目を細めて眺めた。
「ああ、お休み」
 父さんは行きかけて、振り返る。もう遅いからな。泊まってってもらいなさい。え? 聞
き返すよみに、お父さんが繰り返す。女の子の一人歩きは危ないから泊まっていってもら
いなさい、何か間違いがあったら困るだろう。
 そんな常識的な言葉に、混乱中の娘はかくんとうなづいた。

59 :『あなたには手作りの』《50》 :2004/01/23(金) 12:34 ID:???
 ドアをゆっくり開けると、智が絨毯の上をティッシュペーパーでなすっている。さっき
のクリームを取っているのだろう。側のゴミ箱にはクリームの滲んだティッシュが無造作
に入れられている。今更のように、洋菓子の甘い香りが鼻をついた。
「あ、そんことしなくていいよ……」
「ううん。あたしやる」
 がくんと落ち込んだ空気の中。その智の唇に血が滲んでいる。よみがつけた傷。唇でつ
けた傷。よみは何も言えずにポットのコンセントを差し込んだ。湯沸し中のランプが点る。
「それ、おばさん持ってきてくれたの? 」
「ううん。お父さん」
 おじさんか、ぽつんと智が呟く。思わず目をそらせばテーブルの上には潰れたシューク
リームの箱。でこぼこになった箱に触ろうとすると、智が顔をあげる。
「捨てちゃって、それ」
「どうして」
「辛いんだよね。見てると」
「……ごめん」
「お互い様だよ」
 その声は本当にお互い様、といった声だったのでよみはそっと胸を撫で下ろす。
「ごめんな、よみ」
 いきなり謝られてよみは面食らう。謝るのはこっちのほうだろう。
「何で謝るんだよ」
「ん、何となく」
 再び床をなすり始める智。ティッシュペーパーが時折、しゅっしゅっと引き抜かれる音。
 よみの手が白い箱に触れる。今度は智は何も言わない。箱を開けると鮮やかに黄色いク
リームがべったりへばりついていて、ぺしゃんこになったシュー皮が微かにその立体を取
り戻す。その一片を指でつまんでちぎりとり、口に運ぶ。
 かしゅ、と潰れる皮は固くて好きな歯ざわり。カスタードクリームの色は濃すぎるけれ
どこってりした舌触りはよみの好きな感触で。
 よみの眉間に皺がよる。
 泣いたら絵になるのだろうけれど、涙が出ない。心に何も感じない。変な気分だ。
 意識しないまま千切っては口に入れ、千切っては口にいれ。かしゅかしゅむちむち。
「食べてないで、捨てるよ」
 智の声にようやくよみの手が止まった。

60 :『あなたには手作りの』《51》 :2004/01/23(金) 12:35 ID:???
 身体を起こした智の胸元はもうすでにボタンで止められている。よみとお揃いのパジャ
マ。ともは青、よみは赤。二人で買い物に行ったときにペアで買った物。その閉じられた
ボタンが、よみの触れるのを拒絶しているようで見ていられない。居場所のなさに、指に
ついていたクリームを舐める。砂糖の甘味が強いクリーム。
 おいしかったというのもおかしい気がするので黙っている。智は最後になすり終わった
ティッシュを片手に持ったまま、机の上にある潰れた箱の展開図を取る。惜しがるでもな
く食べかけのシュークリームの抜け殻にティッシュをのせてぱたぱたと閉じ、三つ折にし
てゴミ箱に突っ込んだ。これでおしまいっと。智が肩の力を抜く。部屋の空気が少し軽く
なった。それなのに智はいきなりこんなことを言い出す。
「じゃ、あたし、そろそろ帰るわ」
「ま、待って」
 ん? と首を傾げる智。
「お父さんに、今日は帰すなって言われてるんだ。夜道は危ないから」
「大丈夫だよ。この辺住宅地だし、街灯も点いてるし。それに走っていけば5分でしょ? 」
 それはそうだ。あの道は比較的安全で、よみもこれくらいの時間にあの道を通ってコン
ビに行ったことが何回もある。それに、とよみは考える。智はさっきあんなことがあった
後でここにいたいだろうか? 智はもうすっかりいつもの顔をしているけれど、私だった
ら嫌かもしれない。私はどうしたらいいのかわからない。
「よみはどうなの? 」
「え? 」
「よみはどうしたいの? お父さんが泊めろって言ったから止めたの? 」
 そのものずばり、逃げ場なしの問い。躊躇してはいけない。そう思った。
「いや! 私がいて欲しい。だからここにいろ」
 命令形のあっさりさ。うじうじと考える時間は無いように思えたから。もしかしたら言
い方が強すぎただろうか。もっと素直に甘えてみたらよかったろうか。想いが散り散りに
毛穴から抜けていく感覚。目の前の智はと言うと。
「そんならいい」
 とあっさりベッドに座り込む。さあ、こよみくん茶を入れてくれたまえ。え? 茶って。
急な展開についていけないよみが問い掛ければ。
「茶だよ、ちゃ。じゃ、一体何のためにポット持ってきたんだよ! 」
 間がよくピピッと電子音。湯沸しのライトが保温に切り替わった。

61 :『あなたには手作りの』《52》 :2004/01/23(金) 12:36 ID:???
 カップの中には一つずつティーパックが入れられている。よみはカップから一端ティー
パックを取り出してお湯を入れ、カップを温めてから窓を開けてお湯を庭に巻いた。しゃ
っと水の空切る音二杯分。内と外の空気の温度差が風を作り出す。さあっと冷たい風が部
屋の中に吹き込んだ。
「エアコンついてたんだ」
 呟きが白く凍って夜にほろほろ溶ける。
「とも、エアコンつけた? 」
「ここに来たときにはもうついてたよ」
 そっか。言われてみればその通りだ。でないとこの部屋はもっと寒いに違いない。母さ
んがつけたのかな。なんだかんだ言って親は子供の姿をよく見ている。
 カップが温かいうちに窓を閉めると、よみは飛び切り濃い紅茶を作る。
「はい、とも」
「さんきゅー」
ともと自分との間に紅茶をのせたお盆を置く。父さんは三つのシュガースティックと小
さなパックミルクを置いていった。二つはよみ用、一つは友達用に。ともはインスタント
には基本的に混ぜ物をしない。だからお盆には一つずつシュガースティックとミルクが残
った。こってりと甘くなった紅茶によみは口をつける。ああ、この味じゃさっきのシュー
クリームにはあわないな。砂糖は一つで充分だ。
「温かいね」
「うん」
 よみはうなづく。ともの紅茶を啜る音。ふーふー吹く音。また啜る音。時折風で窓ガラ
ス、かたかた。
「味、どうだった」
「え? 」
 ともの突然の質問。一瞬紅茶のことかと思ったけれど、求めている感想はその一つ前口
に入れたもの。
「うまかったよ」
「ほんと? 」
「嘘ついてどうする」
 一瞬ぎくりとする問答。でも終わってしまえばただ日常で。さっきの出来事さえ、もう
立ち上る湯気のように胡乱で曖昧で。こうしてまた無かったことになるんだな。
 そんなよみの横顔を、智がちらりと観た。

62 :『あなたには手作りの』《53》 :2004/01/23(金) 12:36 ID:???
 いけない。
 それじゃいけないんだ。もっと素直にならなきゃ。
 そんなよみの心の奥底はともには見えない。ともに出来るのはよみと一緒に紅茶を飲ん
で、空っぽになったカップをよみの勉強机に運ぶだけだ。お盆を持って立ち上がろうとし
たともに、よみは急いで中身を飲み干し、空のカップを託す。客に対してする動作じゃな
いよなー、といったともに、おまえを客だなんて思ったことは無い、とよみ。それがとも
には嬉しかったりする。
「な、とも」
「何? 」
「私はまだともの友達? 」
「……嫌いじゃないと思う」
「私はとものこと、友達だって思ってる」
 おやおや。智はゆっくり振り返って、手を後ろに組む。
「……さっき嫌いっていった」
「うん、でも、言ったけど、ともは本当に友達」
 よみの顎が、また微かに震えた。そんな友人の姿を見詰めるとも。深い色の瞳。
「じゃあ、あたしもよみのこと好き」
 ベッドの上に勢い良く腰を下ろすとも。ちらりと見れば、よみの泣き腫らした目の中に
浮かぶ安堵と物足りなさ。むくむく湧きあがるともの悪戯心。
「ってことにしておいてやるよ! 」
「なんだおまえそれ!!! 」
「ふっふーん。だってよみが本当に好きかどうかわからないもーん。人のシュークリーム
足で踏み潰すしさ。あー、よみの体重に潰されて、かわいそーなシュークリーム」
「う、うるさい! 」
 よみの手がともの手の上に重なろうとする。それはあまりに唐突で、ともの身体がびく
りと震えた。顔をぱっと背けるとも。
 あ。よみの手がするすると引かれた。そこからしばらくの沈黙。
「ねえとも」
「ん、なんだよ」
「私さ、大阪に嫉妬していたのかもしれない」
 ぽつんと言ってよみ。曇った眼鏡を外した。

63 :『あなたには手作りの』《54》 :2004/01/23(金) 12:37 ID:???
「嫉妬? 」
「何だか大阪にともを取られちゃう気がしてさ」
「わー、よみ、気持ち悪―い。それって、れず? レズ? 」
「な! 茶化すなーっ!! 」
「だってさー。女の子に女の子とられて嫉妬するなんて、レズじゃーん。わーっ、共学な
のに男っ気ないわけだ」
「う、うるさい! 」
うろたえるよみにとものにやにや笑い。でもさー、本当によみって女の子相手にドキド
キするのかなー? その目にはまだ泣いた後の充血。
「ど、どうしてそういう流れになるのかわからんな……」
「もー、とぼけちゃって。しかもこのレズ眼鏡はどーもこの、あ、た、し、に欲情すると
みた! あーあ、さすがはともちゃん。フェロモン出しまくりー?! 」
「……んの、馬鹿」
「ははーん、さっき手を握ろうとしたのも、あたしに触りたかったからかー」
「ち、違う!! 」
 こんな言われ方をしたら好きなものも好きだなんて言えない。あからさまのからかいは、
遠まわしの拒絶に聞こえるから。でも同時にほっとする。すっかり日常に戻ったようで。
「握ってみちゃおーかな。えい! 」
 手を握るなんて二人の間では珍しくもない。スキンシップが好きなともは用がなくても
ベタベタ触ってくるから。勿論そんなわけだから、よみだってただ触られるだけならまる
っきり平気だ。智はいつも子供が珍しいおもちゃを触るように触る。それなのに今日に限
ってともは、とてもとても優しくよみの手に触れた。
よみの左肘から下が傍目からもわかるくらいびくっとする。そんな身体の反応によみの
顔が羞恥に染まる。わ、わわわわ。顎が震える。何か口にしたいのに言葉が出なくなる。
智はそんなよみの姿をじっと見ている。
「えーい」
「わあっ!! 」
 ぐい、と手を引かれてよみはベッドに倒れこむ。二人ともベッドに寝転がって。手だけ
はしっかりつないだまま。
 ぽすん。布団の空気の抜ける音。

64 :『あなたには手作りの』《55》 :2004/01/23(金) 12:38 ID:???
 じわじわとデスクランプが瞬いた。お互いの手にお互いの手を感じる。手のひらの皺と
皺の、吸い付くような感触。ともの目の前に横たわるよみ。驚きはまだ癒えないままで。
「冷たいんだね。よみの手」
「別に心は温かくないぞ」
「うん、知ってる」
手の冷たい人は心が温かいという話。思い出して茶々を入れればともはこくり、うなづ
いた。
「よみは、心も身体も冷たいんだよねー」
 ぐっと何もいえない。申し訳ないように目線をずらすよみ。奥歯を噛むのがわかるよう。
口には出してみたけれど、改めていわれると傷ついて。
「なんせ人のシュークリームさ、踏みつけるくらいだから」
ねちねち責める智の口ぶりとは相対して、優しくよみの手の甲をさするともの親指。猫
がねずみで遊ぶような無邪気さ。よみの手が反射的にぐっと握られる。ともも負けずに握
り返す。こんなにも温まってくる彼女の手のひら。
「ねえ、とも」
「何? 」
「さっき、私笑っただろ。ともが怒ってるとき」
「うん」
「あれって別に、ともを笑ったわけじゃないんだよ」
「じゃあ何? 」
「ラジオがね、聞こえてきて。それでちょっと変なこと喋ってたから」
 何だか思い出し笑いするよみ。ねえ、どんなこと言ってたの? 聞かせて聞かせて。い
や、改めていうと馬鹿みたいなネタなんだけど……。
「昨日カツアゲした金でトンカツ食ったんだボヨ〜ン! 」
……よみ、つまんないよ、それ。……だよね。うなづくよみ。アジシオ太郎さんっぽく
ないネタだった。誰それ? ああ、名物リスナーの一人。
「ほっほう。そんな余計な知識ばかり詰め込んでいるから受験落ちるんだよな! よし、
決定! 受験合格するまでよみはラジオ禁止!! 」
「な! 勝手なこというなっ!! 」
 そんなこと言って、ともこのネタ聞いて笑ったじゃないか。気のせい、気のせいだよー
ん。二人の指が、別の形に組み変わる。

65 :『あなたには手作りの』《56》 :2004/01/23(金) 12:39 ID:???
手を握って他愛無い話。縮んだり開いたりの指。見詰めていればキスしたくなるような
友の唇。気がつけばとても真面目なともの顔。
「よみさ、もしかして、さっきのラジオの話、本気にしてる? 」
「何? 」
「受験合格するまでラジオ禁止、とかいったの」
 いわれて気づく。ともは、よみが受験でかりかりしていると思っているのだ。本人です
ら、ついさっきまで受験の苦しみが自分を混乱させる原因だと思っていたのだから、他の
人がそう思っても仕方ない。
 勿論大学受験も悩みの一つだ。つまらない意地。勝手な思い込み。そんなのを引きずっ
て今まで。自分は本当に東大に行きたかったのか? それを見定めなかった己の自業自得。
違う。本当は違う。榊と同じことで悩んでいた。本当の悩みは、受験に受かろうが受かる
まいが、もう智とは別れ別れになることが決定していること。どんなに一緒にいたいと思
っても。それでも。
「受験なんてさ、大学との縁じゃーん」
元気付けようとする智の笑顔。
「縁? 」
「そうそう。何もかもひっくるめて。落ちたところとは縁がなかっただけだよ、よみは」
そうかもしれない。勉強はずっとやってきた。赤本の問題は9割解ける。高校の3年間
を受験勉強に当ててきたのだから当然の結果だ。でも頭の準備が出来ていても、心の準備
が出来ていなければどうにもならない。今までの試験は心の準備が出来ていなかったのだ。
自分の能力をフルに発揮して事に当たれる。それは縁がなくては出来ないことだから。
 ともの顔がくしゃ、と笑顔になる。
「やるだけのことはやったんだから、悔いはないはずだろ? 落ちても受かってもさ」
「そうだな」
 微笑むよみ。
「受験みたいなものでも、やっぱり縁は、あるんだな。相性みたいなもので」
 よみの笑顔が、デスクランプのじじ、という音とともに翳った。
「想いが受け入れられるか受け入れられないかは問題じゃないんだ」
 どんなに憧れていても、どんなに好きでも。
全ての恋は片思いなのだから。

66 :『あなたには手作りの』《57》 :2004/01/23(金) 12:40 ID:???
「よみ、一体何の話してるんだよ」
「受験のことだよ。智のいうとおり、受かるか受からないかは関係ないんだ」
「いや、さっきはもうちょっと違う言い回しだった」
「ああ、悪いな」
 ともはきゅっと手を握る。笑顔のまま、指先だけは緊張して。
「でも、とものいうとおりだ」
「どうした、よみ。何か変だぞ、お前」
ともは何かを感じ取っている。話の内容が奇妙なわけではない。よみの表情と雰囲気だ。
そのすっきりとしすぎた顔だ。
「変じゃないよ」
 落ち着いた声はよみが心に何か決めたとき。智だけが知っている、よみの決意の顔。
「今までが子供だっただけさ」
「じゃあ、まるでよみが大人みたいじゃん」
「子供だったんだよ。気づかせてくれたのはともだよ」
「ちぇっ、素直じゃないのー」
「素直だよ」
 ぎゅっと握った手をするりと和らげるよみ。握ったり開いたり。智の強張った手のひら
を揉み解す。解された手を、智はしばし友人の手にゆだねて。ねえ、よみ。
「受かったほうがいいと思うよ。大学は」
「どうして? 」
「だってさ、受けるからには受かったほうがいいじゃない」
「それはそうだよ」
 よみの親指が智の感情線と頭脳線をさする。深い皺を丁寧にさする。
「でも、手に入れようとしちゃいけないんだ。自分の都合で、好き勝手に」
「どうして? 欲しいから手に入れたいって思うのは当然じゃないか。そのために勉強す
るんだろう」
「確かに欲しいものを手に入れるには努力しなくちゃいけない。でもね。根本が間違って
いたら、本当の縁は手に入らないんだよ」
 よみと智の声が夜に融ける。デスクランプのじりじりの音の中に。
「大学行くために勉強しているんじゃなくて、勉強したいから大学行くんだよ」
 そんな単純なこと、忘れていたなあ。
 よみの呟き。また夜に溶けた。

67 :『あなたには手作りの』《58》 :2004/01/23(金) 12:41 ID:???
「そしたらどこの大学受けてもいいんだよね。勉強するためなら」
「でもよみ、経済やりたいんだろ? ずっとそう言ってたじゃん。一流の大学で一流の経
済をって」
「あれは、祖父の願いなんだよ。自分の事業を受け継いで欲しいんだ」
 よみの母親の実家は、企業経営を営んでいる。主に不動産を中心としており、東海地方
ではかなりの凄腕で鳴らした老人だ。ワンマンな仕事振りだったから、その年齢の加算と
ともに本人が弱っていけば人はさっさと離れていく。だから今は業務を縮小縮小している
が、本人の発言権はまだ強い。
「お爺様は、強制はしていないんだ。自分のやりたいことをやれっておっしゃって下さる。
それでもね、本当は東大に行って、経済を専攻して、自分の事業を継いで欲しいんだよ」
 特に、私が東大入るのにはこだわってらっしゃったから。
「よみのお母さんだって、東大入ってるだろ? 」
「ともののお母さんだってそうじゃないか。混ぜっ返すなよ。母さんは外国文学を専攻し
てたんだ。……それに、卒業してからすぐ父さんと結婚した」
 そっか。ともは口をつぐむ。初めて聞く話ではないけれど、今このとき聞けばよみの言
わんとすることもわかる。それは重いだろう。よみの話で聞いてはいる。かの一族のエリ
ート主義は。東大に行っただけでは駄目なのだ。役に立つ学問をしなければ。
「とはいえ、やっぱり私が勝手にそれを買って出たんだ。それを今まで人のせいにしてい
た。自分で道を切り開くのを諦めていたんだ。……もしこれで受かったら、まだ手遅れじ
ゃないんだ。東大に行っても自分で切り開く道が残っているんだ。そしたら東大とも縁が
あったってこと」
「じゃあ、もし落ちたら? 」
「今年は東大とも他の大学とも、ともの言うとおり縁がなかったってことさ。それは私の
根本が間違っていたからだ。それを肝にすえて一年浪人するさ」
「よみ! 」
 突然の智の声に、よみは目をぱちくりさせる。
「もし、浪人しても、あたしはあんたの友達だからな!! 」
寝そべったままぐいっと近づいてくるとも。
「根本が間違っていようと何だろうと、よみはあたしと一緒だからな」
 じじじ。夜の中にランプが震え。
 ぱちん。脆弱なフィラメントの寿命が尽きた。
 後はただ部屋を埋め尽くす夜。

68 :『あなたには手作りの』《59》 :2004/01/23(金) 12:42 ID:???
四季は巡り巡りやがて春が訪れる。
 夜は流れ流れてやがて朝が訪れる。
 それでも夜の闇は遥かに暗く世を覆い。
 冬の寒さは身を凍えさせ心を凍らせる。
「とも寒いね」
「うん寒いね」
窓から差し込むかすかな明かり夜の光。
 蒼褪めた月光春先の朝を含んだ夜の光。
 作られた明かりが消えたから分かる光。
 人工の光よりぼやけて、でも美しい光。
「よみ」
「ん? 」
 ともの片手は握られて片方は抱き寄せて。
 よみは抱き寄せられて片手は握られてて。
 ついに解かれた両手が今互いを抱き締め。
 頬と頬の皮膚呼吸が感じられるくらいに。
 あたたかい。
 あたたかい。
 あなたとの抱擁。

あなたには手作りの贈り物をあげよう。
あなたには手作りの贈り物をあげよう。
あなたが欲しいものは何。
手作りのシュークリーム?
それとも手編みのマフラー?
抱き寄せる誰かの二本の腕?
愛しているという言葉?
ああ、それは日常に想いを打ち込むためのクサビ。 
だらだらと続く日常に自らを刻み付けるための楔。
想いに縛られればそれは重い鎖。
 でも今は
今だけは温かいあなたとの抱擁。

69 :『あなたには手作りの』《60》 :2004/01/23(金) 12:43 ID:???
 もう唇は交わせない。
 自分の歪みに気づいてしまったから。だから。
「ねえ、とも」
「何? 」
 セックスしたいと思ったことある? こんな質問も出来るのだ。もうしてはならないか
ら。
「いや、そんなことないな」
「そっか。じゃあ、誰か好きな人いる? 」
「……いたら悪い? 」
 そっか。やっぱり好きな人いるんだ。素直にそう思えた。こうやって二人であっていて
もともが見せる不思議な表情。あえて聞かずに続けてきた付き合い。その付き合いだって、
もとは私の歪んだ勘違い。
「じゃ、無神経だったね。キスしたりして」
「え? 」
「何度か、したことあるじゃない」
「あ、ああ。いいよ、減るもんじゃなし」
 夜に融ける言葉、息。エアコンの音るんるんるんるん。
「わたしは、したいなあ。セックス」
「え? 」
「好きな人と、セックス」
 ごくり、唾を飲む音。ともの音。
「ばかだなあよみは。だれかするひといるの? 」
「いない。でも好きな人は、いる」
「告白した? 」
「ううん。私が馬鹿で、逃しちゃった。つまんないことで当り散らして。それに、私が好
きだって思ってたのだって、勘違いだったから」
 え? 抱き締めていたともの腕から力が抜けた。そんなともの肩越しで、よみは小さく
囁いた。
「私がつまんない思い込みで相手を当てはめて。勝手に理想視して。想いを押し付けて」
愛してるって思い込んで。
曖昧な想いに愛は揺るがないから。
でもそれは愛なんかじゃなかったんだ。

70 :『あなたには手作りの』《61》 :2004/01/23(金) 12:44 ID:???
 よみは言葉をつむぐ。胸のじんわりした熱さを感じながら。
「愛しているんなら、きっとそれだけで充分なんだよ。見返りを求める必要なんて、きっ
とないんだ。それなのに見返りを求めるから相手を縛ろうとする。感情を曝け出して、打
ち明け話なんかして、肌に触れて。そうやって日常生活の中に相手を組み込もうとする。 
それはきっと、その人を愛しているからじゃないんだろうな」
「じゃあ何なのさ」
「孤独になりたくないからなんだよ、きっと。そしてそれは自分に向けられた感情で、相
手に向けられた感情じゃない」
 愛って、人に向けられる感情だと思わない? よみの言葉にともはうなづく。確かに理
屈はわかるけど。
「でも、好きになったら相手を理解したいと思うのが当然じゃない? 愛したいから壁を
とっぱらってるとも考えられるだろう? 」
「いや、そうやってこれ以上自分の中に踏み込まれないようにするためなんだと思う。そ
うやって実際は壁を作ってるんだ。そんな想いに捕われたら、辛い。考えることは好きな
相手のことだけ。それも相手が自分の都合よく動いてくれないっていう恨み言で。うまく
行っているときは調子に乗って。それもこれも壁際で付き合っているから相手の本心がわ
からない。好きって想いが妄執になる」
ただ一緒にいればいいだけなのに。
「なんか、かわいそうだよね、そう考えると」
「違うよ、自業自得なんだ、そんなの」
 だって、今まで自分がそうしてきたのだから。
「本当に愛したなら、側にいなくてもつながりを感じ取れるんだと思う」
「どういうこと? 」
「だって、感じるんだもん。私を好きな人が私を好きだって思ってくれている気持ち」
 それはともの心。ともの本心。きっと、彼女の中では友情という言葉で現される気持ち。
「ちょっと待って、混乱してきた」
 再び抱き締める力が戻るともの腕。
「よみは、好きな人がいる。その人に酷いことして嫌われたと思っている」
 うんうん。よみがうなづくたび、ともの耳たぶを息がくすぐる。
「そもそもよみがその人を好きだって気持ちは勘違いで、今は好きじゃない」
「ちがう。今でも好き。大好きなんだよ」
 ぎゅっと抱き締めるよみ。腕の中にともを。

71 :『あなたには手作りの』《62》 :2004/01/23(金) 12:44 ID:???
「じゃ、問題ないじゃない」
 こともなげにいうともによみはギョッとする。
「大好きだったら告白すれば」
 何をいっているのか分かっていないのだ、ともは。私が誰とセックスしたいのかわかっ
てそんなことを言っているのか?
「そんな、出来るわけないだろ! 」
「どうしてさ。だってそんなに好きなら告白しちゃえばいいじゃん。確かに告白しないで
も繋がっている気持ちはあるだろうし。それに、もし告白して駄目でも、その人と別れて
も、きっと好きって想いは繋がり続けるんだろ? さっきの論法で行くと」
「そりゃそうだけど……、ともはどうなんだよ! 」
「なんであたしが」
「ともだってまだ告白してないんだろ」
「あたしは、いずれきちんとするよ」
 ぐっと息を詰める。こんな喋り方をするときは、本当にともがやるときだ。あの高校受
験のときもそうだった。だからあっさり負けを認めることにする。
「私は、今は、まだ無理。受験も終わっていないし、それに」
「それに? 」
「気持ちの整理がついていない」
 そっか、二重の足枷なんだな。ぼそりとともが呟く。
「じゃ、受験済んだら告白できるんだな、よみは」
「うん。そしたら」
「受験終わる前に、相手の好きを信じて告白ってわけにはいかんのか? 」
「うん。まだ学校あるし。それに多分その人の好きは友達としての好きだろうから」
「ふーん。結構そういうのって、ぎゅって抱き締めれば決着ついちゃうみたいに思えるけ
どねー。抱き締めて愛を語れば」
 だって、好きなのはお前なんだよ。女である、とも。好きだって思ってる自分だって変
だって感じてる。気持ち悪いと思うぞ。今までスキンシップベタベタしていた人が、本当
は自分相手に欲情していたと知ったら。さっきともは、レズとか言ってからかっていたけ
れど、それは本当にそうは思っていないからだ。
ともが私に友情を感じてくれているのなら、その友情を壊したくない。同時に、報われ
ない愛だと分かっているから、まだダメージは受けたくない。

72 :『あなたには手作りの』《63》 :2004/01/23(金) 12:45 ID:???
「決めた」
「何を」
「受験で受かったら、告白する」
「どーしてもこだわるんだな、よみは」
 あきれたような声のとも。自分がその標的とも知らないで。
「もし落ちたらどうするんだよ」
「そのときは、諦める」
「何で? そんなに受かる自信あるの? 」
「いや。でも受験が私の考えていたことが正しいかを示す道標なんだと思う。周囲の期待
を勝手に受けて受験した私の間違いが改まったなら受かるはず。ひいては、この歪んだ恋
愛へのきちんとした区切りになるだろう」
「歪んだって……。それに別に関係ないんじゃないの? 受験と恋は」
 まあその方がファイトが湧くんならいいけどさ。そう言った後で思わぬくすくす笑い。
「で、受験落ちた後で、結局両想いになっちゃったらもう大爆笑!! 」
「っ!! 絶対そんなことはない! 」
 おーやおーや、そうかなそうかな。いいながらぎゅっと抱き締めるとも。胸元をきゅっ
と押し付けて。
「ねえ、よみ。とっときの秘密を教えてあげようか」
「な、なに? 」
「あたしもね。本当はセックスしたいんだ。大好きな人と」
 蕩けるように甘い囁き。思わず赤くなるよみ。その相手が自分じゃないのが悲しいけれ
ど。いいんだ。ともは私の友達。こんなに裏切ったのに、こんなに酷いことしたのにまだ
私の側にいてくれる。
 きゅう。抱き締める身体。大好きなともの身体。
 どくん、どくん、心臓の音。ねっとりとした肌のにおい。大きく息を吸い込んで。ああ、
甘いとものにおい。さっきまであんな他愛もない話をしてたのに。身体はこんなにも感じ
初めて。心も身体もこんなに求めていて。
「じゃ、そろそろ、帰るわ」
 ともがゆっくりと身体から腕を解いた。

73 :『あなたには手作りの』《64》 :2004/01/23(金) 12:45 ID:???
 ともが窓を開ける。冷たい風が部屋に吹き込む。湿った汗のにおいが薄れていく。
 今度は止めない。自分のために。ともは自分を友達だと思ってくれている。それだけで
いい。気をつけてね。大丈夫とは思いながらも口にすれば、ともも素直にうなづいた。
「明日、厳密に言えば今日だけど。よみは来るの? 」
「ちよちゃん家? どうしようかな。今日は明後日に備えてぐっすり寝るよ」
「そっか、じゃああたしは行くから伝えておくよ。よみはグーグー眠ってて来れないって」
 窓枠を乗り越えてともは外に出て行く。
「ねえよみ」
「何? 」
「よみの受験が終わったらさ、あたしも好きな人とセックスするよ」
「は? 」
 いい考えだろー、というともによみは憤る。何考えてんだおめー! お前のセックスと
私の受験は関係ないだろ! にっこり笑ってとも、そうそれでいい。よかねーよお前!
 ともはいつもみたいににこにこ笑って門まで行って、そこで振り返って手を振った。よ
みも手を振る。裸眼だからともは滲んだ景色の一つだ。でも、ともが分かる。ともの空気
を感じる。
 ともは、普通の少女だった。少なくとも自分が考えていた、死を超越した子供ではなか
った。それによみのことを愛してくれているわけでも。それでもいい。
根本が間違っていようと何だろうと、よみはあたしと一緒だからな。
 ともの言葉。その言葉だけで私は報われる。
 どうしてなんだろう。理想は砕かれ自らの罪を認め希望さえもままならないのに。
 やっぱり私はともを好きだ。
 だからもう孤独は怖くない。ともと私はどこかで必ず繋がっているから。例え一人で生
きることになっても、この想いがあれば、もう死にたいとは思わない。
 明かりをつけてパジャマに着替えようとベッドに近寄る。上着を脱ごうとしてふと気づ
く。ともの寝ていた辺りに何かが落ちている。見失わないようその方向を視線で保ちつつ、
手探りで眼鏡を探す。早速かけて二三度瞬きする。小さくて白いもの。ともの身体にくっ
ついてきたものに違いない。寝そべったときに落ちたのだ。
 なんだろう。指先で摘み上げて。
 あ。
 思わず声が出る。
 白い花弁。咲いた。

74 :『あなたには手作りの』《65》 :2004/01/23(金) 12:46 ID:???
          ☆

12月25日
このごろ言葉の終わりに、“さ”をつける。“ぞうさんがさ、ほんにさ、でてくるの”と
いうぐあいです。今日は朝から鼻血が出て心配。智ちゃんはすぐ鼻血を出したり熱を出し
たり吐いたりする。そうしょっちゅうではないけれど……。私のあまり良くない体質をう
けついだとみえる。これから本人に自覚させなくては。

12月27日
 2才7ヶ月のときの言葉。
 おちにし……いのしし。あたまらい……あたりまえ。
 がまくって……? うんこ……インコ。はにふんで……? 
 いぬのね、わんとほえますの。

1月17日
 今日早く寝なさいというと、ななんと“おかあさん、ねるといのちがないよ”“だれのい
のちがないのですか”というと“おかあさんの”ああもうまけた。このごろとみに気が強
くなった。理くつもすばらしく筋だったもので、本当にもう私はたじたじです。

11月22日
 先日の日曜日とうさんといっしょにでかけました。よろこんで“おかあさんはいかない
のね”を連発、よろこびいさんで行きました。そしてハンバーグを食べてアイスクリーム
も食べたそうであります。
 まったく薄情というかなんというか。

11月24日
 パンツにうんちとおしっこをしてしまった日でした。(私はもうかんかんです。最近トイ
レはうまくいっていたものですから)
 わー! 今日はもうだめだーっ!! 
 ともちゃああああん、ごめんなさーい。

75 :『あなたには手作りの』《66》 :2004/01/23(金) 12:47 ID:???
7月15日
 あれからはや2年がすぎようとしています。私の字と頭はいまだに成長しておりません。

智は元気に幼稚園に通っております。初めは私が送り迎えをしていたのですが、パート
勤めを始めてから義妹がついていってくれるようになりました。まだ高校生なのに通学途
中に送ってくれるのです。初めは、いかない、とだだをこね、一ヶ月に一度くらいずつ繰
り返しておりましたが、そのつど乗り切っています。なんとか……。昨日からは朝一人で
幼稚園に行っています。彼女も頑張っているようです。
 同世代の友達を作るのが苦手なようでしたが、ようやく園内でも親しい子が出来たよう
で、こよみちゃんこよみちゃんと家ではうるさいくらいです。もっともまだ智の片思いら
しいのですが。こよみちゃんには悪いけれど、できれば末永くつきあってやって欲しい。
 今智は熱を出してねております。元気なもので「お腹がへったよおかあさん」と節をつ
けて繰り返してております。
 さて、今月は夏休み。ゴールデンクローバーとるためガンバレ!!

                    * 

 春の最中。久しぶりに会う智は随分ふくよかになっていた。髪の毛はゆるくウェーブを
描いて、表情もすっかり落ち着いて。母になるとはかくあるものかとの実例。
「ほら、マー君、この人がお母さんの幼馴染みの暦ちゃん。よみちゃんって呼んであげな
さい」
 こんにちは、よみさん。ぺこりと頭を下げる男の子は顔をぽっと赤らめて挨拶する。赤
面性なのよこの子、お父さんに似たのね。智はアイスココアのストローを咥えて言った。
「賢そうな子じゃないか、おまえと違って」
「うん。それもきっとお父さんに似たのね。ぽーっとしたところは私そっくり」
 そう言われて幼い少年はきゅっと母親を睨む。午後三時の風景。街中のオープンカフェ
はビルの谷間に翳って。目の前の遊歩道には定間隔にポプラが植わっている。平日の今時
はまばらな人人。

76 :『あなたには手作りの』《67》 :2004/01/23(金) 12:48 ID:???
「驚いた。まさかよみが○○まで来てるなんて」
「仕事でね。明日の会議に出席しなくちゃならないんだ。関東圏での当社のマーケティン
グリサーチについて」
 各店長も集めての打ち合わせも兼ねてるからさ。簡単に説明するよみを見て、智はまる
で我がことのように目を細める。ねえ、マー君。
「ほら、この眼鏡のお姉さんは、東大合格して、今は一生懸命働いているのよ。すごいね」
「一浪したけどな」
「一浪したってりっぱよ。ね、まーくん」
 へえ、東大、すごいなー。どこまでわかっているのかマー君は目をきらきらさせている。
 暦は、結局一年目の受験を失敗したのだ。
「あれからちょうど10年ぶりか」
 智の懐かしそうな声。そうなのだ。不合格発表後マジカルランドで皆と遊んでから、よ
みは皆とは会っていなかった。プライドの問題ではない。あの日の別れ際に心の中で決め
たとおり、皆に頼らないことに決めたのだから。特に智とは。素直にそう思えた。翌年合
格したときも、結局連絡せずじまいで。よみの新しい生活が始まった。
 智が結婚したことは実家に届いた一枚の葉書で知った。ケーキ入刀する新郎新婦の写真
に直筆の「よかったら連絡おくれ!」の文字で、よみは自分が間違っていなかったと思っ
た。智も私もお互いが側にいなくたって幸せを手に入れることが出来る。もし別々の道を
歩んでいても、どこかでお互いを思っている。
 恋人にはなれなかったけれど、それで充分だ。
 あの夜の言葉は今でも心の中に生きている。

77 :『あなたには手作りの』《68》 :2004/01/23(金) 12:49 ID:???
「偶然ってあるのね」
 智の言葉に私はうなづく。智達親子と出会ったのは出張の移動日で浮いた時間にふらふ
らしていた先である。マー君は大人しく座って本を読んでいる。可愛い子供だ。
「ここに来たら、今度家でゆっくり食事でもしましょうよ」
「でも、迷惑じゃないかな」
「大丈夫よ、ね、マー君」
 うん、とうなづく少年はあまり智と似ていない。心持ち面長で神経質そうでおまけに眼
鏡をかけていて。顔を真っ赤に染めている。
「あれ? マー君、もしかしてよみちゃんのこと好きになっちゃったかな? 」
 からかうような智の声にふと昔を思い出す。こんなときの声はあの時の智と同じで。
「こら、自分の息子をからかうな。マー君困ってるじゃないか」
「息子だからイイのよ。ね、マー君、お姉ちゃんのこと好きでしょ」
 こっくりとうなづく子供。母親はにんまり笑ってその頭をくしゃくしゃに撫ぜる。親子
なんだな。親子にしかない接触、会話。見ているこちらも幸せになるような。折角だから
自分も混ぜて貰おう。この親子の語らいに。
「ん? マー君、おばさんのこと好きなのかな? 」
 よみが覗き込めば少年は赤い顔を更に真っ赤にして。智と二人で大笑いして。ああ、い
いなこういうの。私も結婚しようかな、とか思って。
「よみ、お腹空いてる? 」
 尋ねる智。よみは首を横に振る。もし浪人してなかったらどうなんだろう。智とあのま
ま手をつないで歩いていくことが出来たのだろうか。いずれ愛を語らうことも出来ただろ
うか。でもそんな仮定は無意味だし。これでも充分すぎるくらいだ。離れても、どこかで
繋がっている。繋がっていても離れてしまう。それは哀しいことのようで、世の中の当然
の仕組みのようで。でも確かに愛は消えてなくならないで。
真綿に身体を押し付けられたような窒息感。いけない、涙が出そうだ。よみはぐっと涙
を堪える。その代わり、あの時遂に言いそびれた言葉を口にしてみる。
「智」
「何? 」
「覚えてる? 10年前の夜のこと」
「……うん」
「私、あなたのこと愛していたんだ」
 いえなかった言葉が、ようやく口から零れた。

78 :『あなたには手作りの』《69》 :2004/01/23(金) 12:50 ID:???
「しってたわよ」
 くす、と笑う智。もうすっかり母親の顔をして、でもその中に隠れていた少女の頃の想
いが溢れる。蕾が開くように。
「よみがいつ告白してくるんだろうなって思ってた」
「智は。告白に答えてくれた? 」
「う〜ん、よみは息子の初恋の人だからなあ。息子の恋人を寝取るわけにはいかない」
「おまえなあ! 」
 ふ、と智の片手がマー君の目を覆う。がたん、と椅子がずれる音がする。智が腰を宙に
浮かしたのだ。そのまま近づいた顔はよみの唇を覆う。よみは赤くなる。周囲の視線が気
になって。智はそんなものはまるで気にならない風で、よみの唇にキスをする。
「満足? 」
 唇を離して、智は甘く囁く。からかわれている。でも、こんな感じ悪くない。よみはこ
くりとうなづいた。まるで学生時代に戻ったみたい。智は、もう私にキスはしないだろう
な。これが最後のキス。でも、最初で最後の恋人のキス。それで充分。でも、どうしてこ
んなことになっちゃったんだろう。運命を少し恨むくらいは許されていいはずだ。
「ほら、よみ。林檎剥いてあげる」
 椅子に座った智は鞄の中から林檎を取り出す。果物ナイフを使って器用にくるくると皮
を剥く。辺りに林檎の匂いが広がった。
「本当は、お腹空いていたでしょ。すぐ剥いてあげるから」
「いや、悪いよ」
 よみは断る。これ以上優しくされたら堪えていたものが我慢できなくなりそうで。
「遠慮するなよ」
 微笑む智に、ああ、マー君もこくこくうなづいて。もう駄目だ。よみは午後三時の日を
浴びながらほろほろ涙を零す。繋がっている未来と離れていった未来を思って。今、生き
ていてとても幸せだと感じる。でも、でも。
 泣いているよみを見て、智は心配そうな顔をする。
「大丈夫? よみ」
「大丈夫だよ」
 しかし心配そうな智はその手をタオルで拭いてするすると伸ばし、よみの熱くなった額
に触れるのだった。ひんやりと智の手。気持ちいい。智、呼びかければ、何?と答える声。
「私、やっぱりあなたが大好き」
 きゅっと智の顔が引き締まった。(次回、最終回)

79 :名無しさんちゃうねん :2004/01/24(土) 01:08 ID:???
よみの気持ちが切ねぇ‥
ぎゅっと抱く所なんてたまらん。

80 :名無しさんちゃうねん :2004/01/24(土) 14:08 ID:???
毛布に包まって長電話の大阪とか、そこへ父の湯のみに入れたミルクティを渡す母親とか
絶妙のタイミングで暦の部屋にポットを持ってきた父親とか。
キャラを魅力的にみせる演出が本当に上手な人やなー。

81 :『あなたには手作りの』《70》 :2004/01/31(土) 15:52 ID:???
                   *    

 入院前に身の回りの整理をしていたらこんなものが出てきた。開いてみると懐かしい。
今ではあんなに悪たれになって。元気がいいのはいいんだけれど。ふふふ、と笑いが出てしまう。自分がこんな状態なのに。やっぱり感情って一通りじゃないんだなあ。
病院からは帰って来れないだろう。そんな気がする。
 智が大きくなったら読んで貰おうと思って書いていた日記もどき。日々の忙しさにまぎ
れて放りっぱなしになっていたけれど。
 今度は涙か。感傷的だな、私。
 何か書いておこうか、今の私の状況。成長した智に読んで貰いたい。ペン、ペン、鉛筆。
 リビングまで日記を持って来てはたと考え直す。
 今私がこれに何かをつけたせば、これは死を前にして子供に語りかける手記になってし
まう。我が子の成長記を自分の死の物語にするのは気が引けるし。語られない物語があっ
たっていい。
 本当はきちんと話しておきたかった。死ぬってどういうことなのか。愛するってどうい
うことなのか。手始めにあの人、今は水原さん、とお母さんがどういう関係だったのか。
 でも、満ち溢れる命を記したこの物語を死の物語にする資格なんて私にはない。
 ペンを見つけたけれど、私は何も書かずに済ませるつもりだ。ついでに面白いたくらみ
も思いついたから。勿論、ともがこの日記を読むのは私が死んだ後だろう。そうしたら私
ではなくお父さんに幼いころの話を尋ねるはずだ。あの人は懐かしがっても、この日記の出来事の半分も知らない。それは仕方ない。母親と父親はポジションが違う。けれどこの
日記を読んだとき、二人で私を思い出すだろう。過去の想い出を総動員して。そのとき、
智とあの人の心の中で私は生き返ることが出来る。
 物語は、紡がれて読まれることで死んだ者を蘇らせられる。
 作中人物に死を与えるため、物語が紡がれるわけではない。
 会いたければ幾度でもページを捲ればいい。まだ病気が落ち着いていたときの私と会え
る。幼かった頃のあなた自身にも会える。それには、私の死の独白は必要ない。思い出し
て欲しいのは、死に行く私の姿ではないから。もしかしたら、今お母さんが生きていたら
なんて物語が生まれるかもしれない。
 そしたら私たち家族はいつも一緒だ。
 二人の記憶の中で蘇る。
 それが私のたくらみ。

82 :『あなたには手作りの』《71》 :2004/01/31(土) 15:53 ID:???
 でも、折角ペンを見つけたのに何も書かないのも芸がない。それにどうせなら我が娘に
感動の涙くらい流させたいと思うのは親の勝手だろうか。
 あ。 
 いいことを思いついた。最後のページに今日の日付を書いて、一言だけ。

 199○年 5月19日 お母さんは智が大好きです。

 なんてね。精一杯元気な字で。
 馬鹿。涙で滲んだら駄目だったら。
 眉間をティッシュで抑えて零れてきた涙を染みさせる。びっくりするほど大粒で私の袖
まで濡れた。あー。泣いた泣いた。ふーっと一息ついてまた悪戯心。
 それとは別に、一通手紙を書いてみようか。
 ねえ。
 あの人も、あなたも。二人とも私は愛していたのよ、って。
 訂正。いるのよ、か。ふふ、またあの眼鏡ずり落ちるかしら。
 くすくす笑いが洩れたとき、ばたん、と玄関の扉が開いた。
「おかーさあーん、たーだいまっ♪ 」
「はーい、ともちゃんおかえりー」
 いつものでたらめな節をつけてすっ飛んでくる暴走小学生。
「ごっきげんいっかが? おかーァさあん♪ 」
「ともともともちゃん♪ とも元気? 」
 ともちゃんとっても元気ですぅ。ぎゅっと抱きついてきゃっきゃと笑う母子。ぎゅ、っ
ぎゅ。握手する手のひら。弱ってきた私の手と。智の、まだ華奢で小さい手のひら。
「おかあさん? 」
 ぎゅっと掴んだ私の指の爪がささってしまったのかもしれない。ともが困惑している。
「おかあさん、痛いよ? もしかして苦しいの? お母さん。離して。そしたらともちゃ
んお誕生日のマジカルステックで悪い病気治してあげるから」
 心配すると口数が多くなるのは私の幼い頃の癖だ。しっかり遺伝して。日記にも書いて
ある智の癖。たまにいらいらする癖。かわいいかわいいわたしのともの癖。
「痛いの痛いの、とんでいけー。……ねえ、飛んでった? 痛いの飛んでった? 」
 ああ。神様お願いします。いましばらく、いましばらく。
 このいとおしいときよとまれ。

83 :『あなたには手作りの』《72》 :2004/01/31(土) 15:55 ID:???
                   ☆
 
 また哀しい夢を見て目が覚めた。
 見慣れた天井を見て安心する。私はまだ18歳。高校は卒業したばかり。大学は無事合格
して、みんなに祝福されたばかり。名前は水原暦。生年月日は……。
 よみはしばらく自分のプロフィールを脳で検索してほっとした。きゅっと瞼を閉じる。
眦をつーっと涙が。
 よみは、最近3日に一度はこの夢をみる。十年後の自分という一つのパラレルワールド。
大学に落ちて不安定な状態の自分と、智と別れて孤独な自分。それでもいいんだ。もしあ
の夢のとおりでも。結局私は智とのつながりを信じたまま生きられて、その証拠に奇蹟的
な再会が出来て。もしあの夢のとおりであってくれれば。それはそれで感動的ではないか。
 それなのにこんなに哀しいのは何でだろう。
 今日特別哀しいのは、約束を守れなかったせいだ。春の海を見に行こうといったのはよ
みだ。遠足がてら足を伸ばしてみようか。ともは喜んでうんうんとうなづいた。よーし、
じゃああたしたくさんお料理作っちゃうぞ! お弁当とか、楽しみにしてろよよみー!!
 それなのにまたこれだ。ふ、こふと咳が出る。受験のプレッシャーが一時に外れて体が
弱ったんだろうと父さんは言っていた。ゆっくり休んだほうがいい。それで喧嘩した。子
供みたいにまた大声で叫んで。行く、行くったら行くのーっ、て。むっつり黙ってお父さ
んは会社に行って。私はお母さんの、いいから少し眠って、具合がよくなったら行けばい
いでしょ、の言葉に促されるままベッドの中でうとうとしていたのだ。
 楽しい出来事がある前は必ずはしゃぎすぎる。だから予定を二週間前には組んでわくわ
く週間をつけないと、興奮しすぎてこんなふうに当日熱を出してしまう。よみは事前に心
の準備が必要なのだ。その点ともは身体の調節がうまい。元々身体が丈夫でないのに、こ
こぞと言うときには決して風邪をひかないのだ。
 海は逃げたりしない。
 そう父さんはいってたけど、今日じゃなくちゃ駄目だったのだ。別になんの根拠とか想
い入れがあるではないけれど、よみは今日、行ってすることがあったのだから。
 ふーっと溜息をつく。肺から洩れた息が喉と口の中を焼いた。
「おー、よみ、おきたあ? 」
 びくっとして顔を横に向ける。信じられない声が聞こえたから。よみの勉強机、そこに。
 智が座って林檎を剥いていた。

84 :『あなたには手作りの』《73》 :2004/01/31(土) 15:55 ID:???
「あれ? 」
「大丈夫かー? 」
「あれ? 」
「ほら、林檎剥いててやるから待ってろよー」
「あれあれあれえ? 」
 なんだよみは、あれあればっかり言ってて。さてはあれあれ星から来たあれあれ星人だ
な。そんなことを言いながら智は側のタオルで手を拭いて、ナイフと林檎を机の上に置い
た。椅子の側に置いてあるビニール袋。たわんだ皮が白い袋に透けて見える。
 智の手がひやりと額に置かれた。ふうっとまた熱い息が洩れる、触れられたきっかけで。
「やっぱりまだ熱いな」
「まーくんは? 」
「は? 」
「智ちゃん遠く行っちゃったの? 」
「はあ? 」
 智の手のひらがゆるゆる動いてよみの頬に触れる。きもちいいともの手。熱に浮かされ
たよみの脳は、覚醒して朦朧として。一度に蘇る夢の風景。現実と妄想がごちゃごちゃに
なる。天井の桟がぐなぐな動いてる。
「ともちゃんわちゅにちゃ行っちゃうの? 」
「は? どこだって? 」
 夢の都市の名前なんて覚えちゃいない。自分では言えてるつもりだけれど、そんなもの
言葉になっていやしない。それなのに智はぽかんとした顔してとぼけてる。ばか、バカ。
とものばか。
「やだよう」
 あごががくがく震えて出てくる言葉。
「え? 」
「やだよう。ともちゃんとおくにいっちゃいやだよう」
 ぽろぽろと涙が零れる。前頭葉の処理速度が落ちてる。首周りが熱く、にぶ痛い。よみ
の手が智の手を固く握る。熱と緊張のせいで微かに手が震える。
「あたしともと会わなくてもいつも一緒だけどともがとおくにいっちゃうのやだよう」
 笑ってる。手と足の関節が笑っている。よみの握る力が強くなる。反射的に握り締めら
れるともの手。その上に、磁石に吸い付けられるみたいにかぶさる、もう片方のともの手。
 ぎゅっと眉間に力が入り、一瞬弛緩しかける智の顔。

85 :『あなたには手作りの』《74》 :2004/01/31(土) 15:56 ID:???
「大丈夫、ともちゃんは、遠くになんか行かないから」
「ほんとう? 」
「本当本当」
 ほら、歌ってあげる。ごっきげんいっかが? よーぉみちゃん♪ 
 ともともともちゃん。とも元気♪ 
 よみちゃんもうすぐ元気ですぅ。
「わあい」
 よみはともの手を自分の頬まで引き上げる。
「ョみチあんと、ってもげ、んキデえすう♪ 」
 さっきの歌詞を繰り返して、ともの手を自分の両頬まで導いていく。よみの両頬がとも
の気持ちいい手に包まれる。目を閉じて、よみはもう一度言った。わあいわあい。
「ともちゃん、こよみのおかあさんみたい」
「よみだって……」
 く、と喉に言葉が詰まるとも。ふっと軽く息を吐き出しすと、ともに戻ってくる微笑み。
「よみだって、ときたま、私のお母さんみたいだ」
 うふふ、ともちゃん、ばーん。笑いながらよみはともの手を甘噛みする。かぷ。ずっと
やりたかったこと。子猫がじゃれ付くみたいにずっとこうしたかったこと。強めたり弱め
たり、やわやわすると前歯が気持ちいい。とろり、ともの手首に涎が零れたのでよみの舌
がぺろりと舐めた。ともの、自由なもう片方の手が、ぱっと自分の口元を抑えた。ぴくん、
と力がはいったともの身体。
「もう、メっ、でしょ」
 噛み付いていたともの手に、ぎゅうっと強い感触がしたので離れたよみの唇。す、と引
かれたと手はごしごしとよみの布団になすりつけられる微かに甘い声と共に。あー、汚い
汚い。よみの涎で、べしょべしょだあ。
「人の涎を汚いだなんて心外だな」
 とてもはっきりした声が聞こえて智はびくっとする。
「あれ? 」
「それに布団になすりつけるな。汚いだろう。ティッシュなかったっけ? 」
「あれあれ? 」
 なんだ、とも、さっきからあれあればっかり。お前はあれあれ星のあれあれ星人かって
ーの。気だるいけれどもはっきりしたよみの声に、それでも智は聞き返したのだった。
「あれ? 」

86 :『あなたには手作りの』《75》 :2004/01/31(土) 15:57 ID:???
「よみ、さっきの、覚えてる? 」
「覚えてるよ」
「じゃ、あれ、演技? 」
「演技って? 」
 身体を起こして問い返すよみ。重たい全身をじんじんする腹筋で立て直す。
「よみ、さっきの覚えてる? 」
「しつこいな、とも、林檎の皮剥いてたろ? 」
「その後」
「マー君がお姉ちゃんと結婚したいって」
「誰それ? 」
 あ、ごめん。夢の話だった。夢? そう、夢の中の話。
 智の右手がぴくりと動く。その手は宙をさまよい握りつぶされる。よみの頬へと向かう
前に。躊躇する指先。そんなともの様子に気づかないままよみはまた大きく息をついた。
「ごめん。なんか寝ぼけてた」
「うん、寝ぼけてた。林檎、食べる? 」
 ううん。それよりなんか飲みたい。じゃ何飲む? お茶? アクエリアス? アクエリ
アスよりポカリがいい。だってよみのお母さんから受け取ったのアクエリアスだよ。ああ
そう……、え? ともの言葉に、よみは今度こそ覚醒する。
「智! お母さんと話ししたの?! 」
「でなかったらどうやって家に入るんだよ」
 ともの家に母さんが電話をかけたそうだ。今日は熱を出して一緒に出かけられない、と。
 でも、ともはここにいる。って事は。
「迎えに来てくれたんだ! 」
「見まいに来たんだよ」
 ともが机の上に乗ったコップにペットボトルの中身をこぽこぽ注ぐ。全くよみはいつも
本番に弱いんだからなあ。ほら。
「ありがと」
 うけとったコップに口をつける。舌の奥までびりびりくる刺激はよほど喉が渇いていた
からか。左右の舌の付け根に甘さが染みる。喉をならして飲む。ごくりごくり。
「林檎、食べる? 」
「いや、後でいい」
 じゃ、おさきにいただきます。半分に切った林檎に、智はかしゅっと歯を立てた。

87 :『あなたには手作りの』《76》 :2004/01/31(土) 15:57 ID:???
「母さんは? 」
「なんか、出かけるって」
「でかける? 」
 そんなこと言ってなかった気がする、朝のうちは。でもそう言われれば母さんの気配を
感じない気がする。家族ってのはそういうものだ。
「どこにいったんだろう? 」
「なんか、友達のところいくって言ってた。大学時代の夕方には戻るって伝えといて下さ
い、だってー」
 へえ、と思った。母さん大学の友達なんかいたんだ。
「よく喧嘩にならなかったな」
「別に喧嘩することなんかないだろ? よみのお母さんとさ」
 そりゃあそうだけれど、でも今まで続いてきた確執を思うと不安は去らない。
「それともさ、よみはまだあのこと気にしてるのか? 」
「あのことって? 」
「お人形さんごっこ」
「わーっ!! わあああああああっ!! 」
 思わず両手を合わせるよみ。まざまざと再生される記憶。ぎゅっと目をつぶる。
「あの日のよみの言葉に比べたら、シュークリーム踏み潰されたことくらいなんてことな
いさ」
「ごめん、ごめん、正直ごめんなさい。あたしが悪かったですう」
 もうそんな昔のことわざわざ言ったりしないよ。よみのお母さんもあたしも、お互いも
う大人なんだからさあ。必死に拝むよみに、欠片も気にしていない様子でともは言う。
「あたしのシュークリームも、食べてくれたしね」
「それなら、よかった」
 ほっとしてようやく目を開けるよみ。そこには満足げなともの顔。
「やっと言ってくれた」
「え? 」
「六年たって、か。願い続ければ叶うもんだなあ」
 何が? 状況の把握できないよみに智は笑いかける。ひ、み、つ。
「空気篭ってるから、窓少し開けるね」
 ともが窓枠に手をかけた。

88 :『あなたには手作りの』《77》 :2004/01/31(土) 15:58 ID:???
「アインシュタインがさ」
「ん? 」
 声の方向に頭を向けるとぐるんと景色が回る。
「アインシュタインが日本に来たときさ。その時ノーベル賞貰ったんだよね」
「たしか、それで授賞式に参加しそこねたんだよな」
 うん。うなづいてとも。ねえ、まだ飲む? あ、うん、貰う。よみが差し出すコップに
 再びアクエリアスを無造作に注ぐとも。たぽんたぽんと波打ってコップは満たされて。表
面が白く反射する午後の光の中で。
「相対的に幸せにって言葉知ってる? 」
 首を捻るよみ。相対性理論については多少の知識はある。公式も一応言える。しかしE
=MC2と幸せがどう結びつくのか分からない。
「どうもね、相対的って当時はお互いに一緒に、くらいの意味だったらしいんだよな」
「じゃ、一緒に幸せにってことか……」
「うん。科学万能が夢見られてた時代だからさ、馴染みやすかったんじゃないかな。この
新しい言葉。結婚式の祝いの言葉なんかでしきりに使われたらしい」
「でもいい言葉だね、なんか、末永くとか永遠にとかの意味も含まれてそうでさ」
 よみはコップを口に当てて答えた。こくんこくんと喉が動く。含まれてると思うよ。な
んせ宇宙を説くための理論だもの。そんなともの言葉がコップの液体に反射した。
「けど相対性理論ってさ。そういう意味じゃないよね」
 空間も時間も意味をもたない。全ては観測するものの立場からの視点のみ割り出される。
だから時間も空間もその観察者の立ち位置で変わるのだと。
 なんかさ、不思議だよね。何が? 問い返すよみにともはにやりとしてみせる。だって
さ、空間とか時間ってもう変えられないものだと思ってたわけじゃん。それが観察してる
立場でまるっきり違っちゃうなんてさ。
「だからさ、相対的に幸せだ、って。結局お互いがお互いを全く別の形で考えてるってこ
とかもしれないな」
「そんなので幸せなんだろうか」
 お互いのことをまるで違って捕らえていて。その立場立場で観察されている存在は異な
っていて。そんな関係じゃ相手の気持ちなんて計れないんじゃないか。
「だから光があてられるんじゃない? 」

89 :『あなたには手作りの』《78》 :2004/01/31(土) 15:58 ID:???
「物理学の分野に? 」
「ううん。観察の物差しに」
 ともが比喩的な意味で語ったのだと思ったよみだが、どうやらそれはそのままの意味ら
しい。そう言えばそうだ。
「光は絶対なんだっけ」
「そう。光を使えば永遠さえ計れる」
 ああ、光。光か。よみの脳に連想される言葉。何かの本で読んだ言葉。
「なんだっけ、あれ」
「あれってなんだよ、よみ」
「ほら、光あれ、とかなんとか」
 ん? 首をひねるとも。なんだろう? なんか聞いたことはあるけどなあ。思い出すの
に費やすふとした沈黙。その隙間を時は滑るように進む。
 空気はまだひんやりしているけれど、もう外では土が温まってきて。萌え出た蕾や草木
は陽光の中ふるふると震えて。窓からは差し込んでこないけれど、隣の家の屋根瓦がきら
きらしているのが見えて。部屋中を午後の影が満たして。果物ナイフとともの瞳だけがひ
かひかして。
「よみ、もう少し寝てる? 」
「ううん。さっき寝たばかりだから、眠くない」
「どれどれ? 」
 ともがそばまで近づいてきて、不意に首筋に手を当てた。
「随分寝汗かいてるね。少し着替えたら」
「そうかな、じゃあ着替えるよ」
「どこに下着あったっけ? 出してやるよ」
「いい。自分で、やる」
 ベッドから足を出して立ち上がろうとすると、くらっと上体が倒れ掛かる。よろけるよ
みの腕を智がはしっと掴んだ。
「大丈夫? 」
「ああ、ごめん。くらくらした」
 かかえあげるようにともが支えて、立たせてやる。よみはふらふらと箪笥まで進んでテ
ィーシャツと下着を取り出した。じゃあ、外でて着替え終わるの待ってるよ、というとも
に、いいからそこにいて。ふう、と息をついてパジャマをぐいと脱ぎ捨てるよみ。そんな
よみの姿にさりげなく智は目をそらす。衣擦れの音が聞こえる。

90 :『あなたには手作りの』《79》 :2004/01/31(土) 15:59 ID:???
「よみさあ」
「ん? 」
 背中越しに話し掛けるともによみは目を向ける。ちょうどティーシャツを取り替えたと
ころだ。汗で濡れそぼった下着を脱ぎ捨てるとすーすーして気持ちいい。さらりとした布
地の肌触り。
「さっき、あたしの手噛んだの覚えてる? 」
「え? そんなことしたっけ? 」
 びっくりして聞き帰すよみ。やっぱり覚えてないんだ。ともはそういいながら振り返ってぎょっと再び背を向ける。
「馬鹿!! 」
「ご、ごめんよお。まさか今、下を……」
「うるさい!! 」
 怒鳴ってみるとやっぱりまた頭がゆらゆらする。ご、ごめん。上ずったともの声。片耳
で聞きながら、よみはよろけて壁に軽く頭をぶつける。ごん。
「だ、大丈夫ぅ? 」
「ふりむくなよ……」
 しゅっと布が引き上げられる音。くるりと丸められた下着が、ベッド脇に放られた音。
「もう大丈夫」
 恐る恐る振り返るともを尻目に、よみは再び布団の中に身体を滑らせる。
「でも、なんでだろう」
 え? 聴き返すともによみは答える。私が、お前を噛んだって。そりゃあんたがあたし
を好きだからだ。な、何いってるんだよ! 思いもかけない反撃にうろたえるよみに、と
ものにやにや笑いの追い討ち。
「じゃあさ、よみは今日なんであたしをデートに誘ったの? 」
「で、デートって……」
「突然、一緒に春の海を見にいかないか、なんて」
「私、そんなんじゃないぞ……」
 知らぬは本人ばかりなりー、こーんな目しちゃってさ、とも一緒に春の海……。
「私はそんなかっこつけて言ってなあい!! 」がば、と思わず跳ね起きるよみ。
「駄目だよ、ちゃんと寝てなきゃ」
 ぴしり、と命じるとも。身体冷やしたら、ますます悪くなるんだから。よみは大人しく
横になる。たまにはこんなふうにたしなめられるのも、悪くない。でも。

91 :『あなたには手作りの』《80》 :2004/01/31(土) 16:00 ID:???
 どうしてこんなことになっちゃったんだろう。本当は今ごろは海辺でお弁当食べて、波
の音を聞いて。潮の香りの中ともと二人で並んで春の海をみていて。
 とも、大事な話があるんだ。
 何? よみ、改まって。
 今までずっと言い出せなかったけど、私はとものこと、愛してるんだ。恋人として。
 え? よみ? 本当?
 嫌だよな、気持ち悪いって思っても仕方ない。でも、これが私の本心だから。
 まって! よみ。どこへ行くの?
 だって、受け入れては貰えないだろ? 女同士だし、おまえには好きな人が……。
 ばか! あたしだってよみのことが好き! 世界で一番愛してる!!
 とも!!
 なんて状況を思い浮かべていたのに。かなり虫のいい想像だけど。
 当日熱を出して倒れて、告白したい相手は隣で林檎の皮剥いてたりして。おまけに着替
えてる姿まで見られちゃって。これじゃあ私はやっぱり馬鹿みたいじゃないか。ロマンチ
ックも何もない。海辺なら振られても絵になるけど、ここじゃまるで私が馬鹿みたいだ。
「さ、よみはあたしと一緒にまだ寒い春の海になんて行ってどうするのかな? 」
「そ、そんなこと」
 いえるわけないだろう。その言葉が喉元で止まった。そんなことを口にしたら、自分の
想いを悟られてしまいそうで。
「と、ともこそ、告白したのかよ! 」
「え? 」
「私が大学受かったら、告白するってとも言ってただろ」
「あ、あれ嘘」
 うそお? うん、とうなずくともにそっぽを向くよみ。なんだよ、ともの嘘つき、お前
はそうやっていっつも人のことからかって。だってさ、好きな相手から告白を持ちかけて
きたんだもーん、そしたら告白する必要ないじゃーん。
「え? それ、いつ? 」
「さっき」
 恐る恐るともに視線を戻す。何を言われたのか分からなくて。
「な、に? 」
「ん? 林檎食べるよね」
 きょとんとした顔のとも。まるで何事もなかったみたいに。

92 :『あなたには手作りの』《81》 :2004/01/31(土) 16:00 ID:???
「さっきって、ここに来る前? 」
「ううん」
「じゃ、さっき? 」
「そう言ったじゃん」
「それじゃあ、とも、わたしのことすきなの? 」
「この前も好きっていったじゃん」
「友達としてだろ。それ」
「じゃあ、よみはどんな好きならいいの? 」
 すとん、と真っ二つの林檎。ともの手の中。
「いってごらんよ、よみ」
 そんなの言えるわけがない。がばっと布団を頭からかぶれば、さわさわと布団越しに撫
ぜるともの手のひら。
「…ったし、ともの、と、……きなの」
「よく聞こえなーい」
「わたし、……ものこと、…きなの」
「何言ってるか、全然わかんないなー」
「じゃあ、ともは、いえるのかよ」
「言う必要なんてないじゃん。この前よみもいってたじゃん。愛してるだけで十分って。
あたしもそう思うから、別にいいのだ」
「だって、私の好きって、セックスしたいってことだよ? 」
「よみはあたしとセックスしたいんだ? 」
 ばっと捲られた布団。ひやり、とした空気。剥き出しにされたよみの素顔。ポッと朱に
染まる友人ににやっと笑みを返すとも。
「それはコーエーコーエー」
「ともはどうなんだよ」
 あたし? あたしはー、どうだろ。そう言って再びよみの勉強机に戻る。半分に切った
林檎をさくさく剥いている。そんな、言わないなんてずるい。言わなくたって分かるんじ
ゃないの? 想いは繋がってるんだろー? とも、そんな意地悪なこと、いうなよ。
 こふん、こふん。横隔膜が震える。咳がこみ上げる。いてっ、とものかすかな声が、そ
の音に混じった。

93 :『あなたには手作りの』《82》 :2004/01/31(土) 16:01 ID:???
 ほら、よみ、林檎たべなよ。喉、少し楽になるよ。
 差し出された林檎。うさぎさんの形。
 何だよこれ、恥かしいなあ。恥かしくなんかないよ、かわいいの好きだろーよみは。
 差し出されたうさぎさん。ともの指先に滲んだ血。
「とも、指」
「ん、あ、あー。さっき傷つけちゃってさあ、まいったまいった。うさぎさんの耳って作
るの結構難しいんだよね。ごめんごめん、血が付いちゃったかな、いいよこれ、あたし食
べるから」
 よみはともの袖を掴む。智は焦ると口数が多くなる。
「あーん」
「な、なんだよ、よみ」
「いいから、とも。あーん」
 すっと押し込まれるうさぎさん林檎。さりさりと林檎を食む音。前歯で齧って奥歯です
り潰して。その圧搾機にじょじょに林檎を差し入れるともの指。優しい白い指。
「よみ、おもしろーい」
 面白がられながら咀嚼する林檎は口の中に微かにべたつくスポーツドリンクの残味を瞬
く間に押し流し、さわやかな後味を残す。尻尾の先まで押し込まれたうさぎ林檎。味わう
唇をともの指はそっとなぞって。その指には優しい傷跡。
「ねえ、とも」
「なにー? 」
「もしも私の考えが間違ってなかったらって話なんだけれど」
「ふんふん」
「もし私のこと好きなら、好きって言って」
「しつこいなあ、よみは」
「じゃあともは私のこと好きじゃないの? 」
 唇をなぞった指が離れる。それはそのまま自らの唇へ。指にしみこんだ林檎の後味を楽
しむ滝野智。
「ねえよみ」
「なんだよ……」
「もし、あたしたちが作中人物で、この物語に読者がいたとしたら、あたしがどう思って
るかすぐに分かると思う」
 少なくとも、よみの気持ちはばればれだとこの憎たらしい幼馴染は言うのだった。

94 :『あなたには手作りの』《83》 :2004/01/31(土) 16:01 ID:???
「私は、そんなのわかんないよ」
 見線を上げて、よみがいうと当然とうなづくともの顔。
「そりゃはたからみてるわけじゃないから」
「ちよちゃん達のことみたいに、か」
 ぽろり、と口にする。半月前の出来事を思い出して。
「え? ちよちゃん? 」
「あ、わ、ご、ごめん。今のなし! 」
 そう言えば智は知らないはずだ。あの二人が今どんな関係にあるかなんて。黙っておく
べきだったのだ。それなのにこいつはまた当然みたいな顔で。
「あれは、行動でちゅっちゅちゅっちゅしてるじゃん。見たら一発でしょう」
「え? 」
「にしても榊ちゃんも大変だよな。ちよすけのやつ隙をみたらちゅっちゅしてるもんなあ」
「智! お前見たことあるのか?! 」
 てっきり知らないと思っていた。こいつなら知ってしまえばぺらぺらと喋ってしまうだ
ろうと思ったから。やだなあ。智は、ちょいとおまえさんとでも言うように手をかくんと
振った。
「向こうはばれてるって気づいてないんだよ。わざわざ言わないって」
「そ、そうだよな」
「気づかれてないって思わせておいたほうが面白いだろー」
「ってそっちかよ! 」
 みんな、気づいてるのかなあ。そりゃ気づくだろ。だってあたしなんか五回くらい見て
るもんね。
「でもさ、キスならあたし達もしてるじゃん」
「それは、そうだけどさ……」
「そんなんじゃ無しにさ、言葉の端とかで分かると思うよー」
 そんなことよりよみ、シュークリーム食べる? 作ってきたんだ。このまえのよりもっ
と美味しく出来てるぞー。そんなともの言葉を聞きながら、じわりと涙が浮かんでくる。
「わかんないよ」
「なにが? 」
「智がなに言いたいのか、あたしにはわかんないよ」
 ともがからかうしさ、アインシュタインとか言い出すしさ、悪い夢見るしさ。
「お熱も出てるしね」とともは微笑んだ。

95 :『あなたには手作りの』《84》 :2004/01/31(土) 16:02 ID:???
 じゃ、シュークリームは後で食べようね。そういうともの声は優しくて、よみの長い髪
をかきあげる。さっき躊躇したのが嘘みたいに。
「なんで好きだって言ってくれないんだよ」
「さっきも言ったじゃん。お互いが想いあってるだけでいいって。それに」
 アインシュタインはいいヒントだと思ったんだけどな。目を細めるともに、わかんない
よ、そんなの!
「確かに、口にしなくても愛を感じるっていったけど、でも」
 そう思ったって、なかなか実践できるわけないじゃないか!
 言葉が出ないよみの唇。黙ってよみの髪を撫でるとも。やがてその手はそっとよみの頬
に触れる。
 「本当によみは、仕方ないなあ」

 春の日は長くて。
 けれども午後一時を過ぎたこの部屋に日は差し込まなくて。
 窓だけが光って外の景色を写していて、春ののどかを伝えて。
 微かに開けた窓。さわやかな風。
 やっぱり世界に光は満ちてる。
 そんな部屋の中、横たわる友人の傍らに座る少女。
 短めに切った襟足がまぶしい。語りかけるような後ろ姿。
 でも語らない。語る必要はない。優しい沈黙の後ろ姿。
 もう私、どうしたらいいのか分からないよ。震える声、ぐずる病人の泣き言。傍らの少
女の手が優しく撫でている様子。それでも止まない泣き言。ぽろぽろ。
 不意に撫でていた手がぐっと押さえつける。 
 襟足がかがんだ。病人の横たわるベッドにゆっくりと、限りなく水平に倒される上半身。
 泣言が、止んだ。そのかわり、恐る恐る伸びてきた二本の腕。よみの二本の腕、ともの
身体にまわして。わなわなと震える肘、相手の身体を抱え込む手のひら。よく見ればかが
んだ襟足も微かに震えていて。その膝も緊張と興奮に震えていて。さっきまでの落ち着き
が嘘みたいな貧乏揺すりかたかた。
 さあ。
 あなたたちが欲しいものは何? 
 問われればよみはもう躊躇わない。

96 :『あなたには手作りの』《85》 :2004/01/31(土) 16:03 ID:???
 とも好き。
 何?
 私、とものこと好き。
 あたしは、もしかしたら、好きじゃないかも、なんだよ?
 それでもいい。今の瞬間を忘れないから。今までのことも、ずっと。
 あたし、好きって言わないよ。
 いいよ。私が好きなんだから。好きで一杯になるくらい。溢れるくらい。
 馬鹿。
 ともも馬鹿でしょ。
 二人とも、ばかだね。

 くすくす忍び笑い。でも二人の声はぶるぶる震えている。掠れている。
 どきどきが止まらない。二人とも感じあう。その血液を流れる想いを。
 吐息で、指先で、お互いの瞳に映る光と影で。

 こよみちゃん。
 なあに? ともちゃん。
 おにんぎょうごっこ、しようか?
 馬鹿。
 だって、こよみちゃんいいにおいするんだもん。
 ふふ、ばか。
 
 ぐっと引き寄せるよみの腕。
 引き寄せられるとも。足元に落ちた林檎。
 全身を委ねる。よみの手の中。
「ねえ、とも」
「なに? 」
「智が死んでも、私は一緒だからね」

97 :『あなたには手作りの』《86》 :2004/01/31(土) 16:03 ID:???
「ありがと。でも違うよ」
 ともは優しく耳元で囁く。よみの風邪交じりの熱い息が頬にかかる。
「いつだって、どこかで、みんな一緒だ」
 ああ、そうなんだ。
 みんな一緒なんだ。お父さんお母さんを初めとした家族。ちよちゃんも榊も、神楽も大
阪も。かおりんやゆかり先生や黒沢先生だって。今まで出会った人たち全てが。
今抱き締めている身体がそう教えてくれる。無言のともがそう言っている。
「お母さんがね」
「私の? 」
「違う。あたしの、お母さんがね」
 その声に、何だかよみは胸が一杯になる。誇らしげなくらいのともの声に。見れば瞳一
杯に溜められた涙。ともの涙。
「こよみちゃん、とものこと、よろしくおねがいしますって」
 涙が頬を打った時、水原暦はうなづいて、滝野智の頬に手を当てる。
 一際強い風が窓枠を揺らし、午後の暗がりの中では二つの影がひっそりと寄り添った。

 凍えた蕾を暖めて解きほぐす春は。
 木々を凍てつかす冬と隣り合わせ。
 緑をしなび落ちさせる秋の日差が。
 命萌える夏と隣り合わせのように。
 命には死を。
 死には命を。
 それは果てしなく循環するウロボロスの輪。
 計ることの出来ぬ永遠と言う名の鎖の奴隷。
 けれどももしアインシュタインに従うなら。
 そしてもし光と愛が同じ性質のものならば。

「ねえ、よみ」
「なに? 智」

 あなたには私の
 手作りの世界をあげよう。

98 :『あなたには手作りの』作者 :2004/01/31(土) 16:15 ID:WWV32Pcw
 この原稿に取り掛かってからほぼ一月半経ちました。全部の
物語が書き終わってからは半月なのですが、推敲を重ねるうちに
こんなに長くなってしまいました。
 中断中ふと声をかけてくださった皆様の声援などもあってここ
までこぎつけました。この長い長い話を最後まで読んでくださっ
た方がいらっしゃったとしたら、よろこびに絶えません。
 ありがとうございました。
 約60000文字。原稿用紙約150枚分読むのは一苦労ですからね。

 もしまた発表する機会がありましたら、そのときはよろしくお願いいたします。
 僭越ながらあげさせていただきましたことをお許し下さい。
                            伯爵

99 :名無しさんちゃうねん :2004/01/31(土) 22:23 ID:???
完結、もつかれさまー!
たしかに長いと言えば長いが最後まで読ませるだけの
面白さがありました。(エラソ−だな自分)
最後がともとよみの今後も期待させて綺麗にまとまっているのもすばらしい(・∀・)
またあらためて最初から読ませてもらいまつ。

100 :FADE OUT ◆ZELDADXx9. :2004/02/01(日) 00:24 ID:???
>>98
お疲れさまです
読ませていただきました
一言ですみませんがとても面白かったです
あと少しで泣くところだった(涙もろいです)
これからもがんばってください...(;´Д`)b

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